花冠



 今夜はテフの香りを妨げる甘い臭いがフェルディナントの部屋に漂っている。花瓶に生けられた花も霞むほどの存在の主張に、ヒューベルトはいよいよ目を細めた。怪訝な顔を作ってみせて同席する男を見やれば、何気ない風を装って焼き菓子を飲み込んでいる。話相手がヒューベルトでなければ、自然に見える茶会の仕草であった。

「先程から気になっていたのですが」
「なんだね。ああ、匙の事かい? 試しに変えてみたのだ。混ぜやすく香りが引き立つのではないかと」
「随分と臭いますが、これは薔薇ですかな」
「…………。……そうだ」

 面目ないとばかりにヒューベルトの視線の追及から逃げて席を立ったフェルディナントは、その足で寝台横の棚に向かい取手を握った。奥に秘された包みを取り出して滑らかに布を開けば、輪状に花開く白薔薇が姿を現す。

「もうすぐ花冠の祭りがあるだろう? 私も一度作ってみたくてね」

 試作だから、出来れば人の目には触れさせたくなかったのだが。苦笑と共にヒューベルトの眼前に置かれた花冠は、隠されていた時よりも強く香りを放つのに、不思議と心を落ち着かせる品の良さに変じたように思えた。ヒューベルトは花冠を眺めながら快くテフを口に含んだ。編み込みの甘い花茎の土台の間を覆うように、若芽色の飾り紐が結われているのが目に留まる。

「……これはエーギル領の白薔薇なのだよ。先日の視察の折に、私用にも買ってきた。
 どうだね、色艶も美しく、香りも今年は特に芳しい」
「その素晴らしい白薔薇は……花冠に変じると、何故か茎がささくれたり花弁の一枚が折れてしまうようですな。なるほど……くくく」

 格好の話題の種をつつかれて、フェルディナントがばつが悪そうに眉を下げたのも僅かな時間の事だった。昂然と拳を握った拍子に、陽光の色をした髪がふわりと波打つ。
「見ていたまえ。完璧な花冠を作れるようになるまで、そう時間はかからないさ。明日ベルナデッタに教えてもらう約束をしているのだ」
「花冠にも愚直さを発揮する予定ですか」

 ヒューベルトは面白がる響きを明確に声に含ませたが、フェルディナントは今度は揶揄に乗らずに柔らかく微笑んだ。
「君に釣り合う質のものを作りたいからな」

 飾り紐を見た時から自分の為に花冠を贈りたいのだろうと予想が出来ていたのに、あまりにも恥じらいのない暖かな語調は、脳内の想定の熱を易々と超えてヒューベルトの口を噤ませる。フェルディナントは固まったヒューベルトの手に自らの手を添えながら、更に言葉を続けた。
──まあ、名高い薔薇園を有する領主として、エーデルガルトにも花冠を献上するつもりだがね。そちらを手づから作れるかは私の上達次第だな。だから、君に相応しいものを作るのが目下の目標だ。

「……質が釣り合っても、似合わないのですから不毛な事だと思いますが」
「そんな事は無いさ。……試しに乗せてみてくれないか」

 ヒューベルトは息を一つついて、花冠を手に取り要望に応えた。頭上から生気に満ちた甘い香りが落ちてきて僅かに眉を寄せる。渋面を作った途端に上がる笑い声に、眉間の皺が更に寄るのを自覚する。

「ははは、すまない、確かに似合わないな。まあ、そういう趣旨の贈り物ではないから似合わないのも良いのではないかね」
「フェルディナント殿……」
「いや、ヒューベルト、心配しないでくれ。諦めてはいないぞ。
 私とベルナデッタとエーギル領の白薔薇にかかれば、君に似合う極上の花冠を作る事が出来るとも」
「別に似合わない事に不満は無いのですが」

 呆れた声を流して、フェルディナントは好奇に満ちた瞳を瞬かせる。君を引き立てるような色を合わせて、いやまずは編み上げを修得せねばなるまい、と小さく独語を重ねて、幾度か頷いてから明るく声を上げた。

「……そうだ、次の休暇は共に花冠を作らないか? 君も花冠を作って贈ると良い。
 それこそ、君が一番似合うと思っている相手にな」
 似合う相手と問われれば、ヒューベルトが思い浮かべる相手は一人しかいない。花冠を贈ろうとは考えていなかったが、付ける姿を過去に夢想した事はあった。

『ねえ、これはお姉様とお兄様には秘密にしてね?
 ……ふふっ、やっぱり! ヒューベルト、とってもよく似合うわ!』
『さようですか』
『私が贈ると怒られちゃうから、来年は貴方が私に贈るのよ』
『確かに、エーデルガルト様には白い花は良くお似合いになると思いますが』
『似合う似合わないじゃないの。私がヒューベルトから欲しいの。
 いい? これは命令だからね』
『ふ、覚えておきますね』
『覚えてるだけじゃだめよ! 命令だって言ってるのに、もう』

 まだ何にも気付く事のなかった、幼い頃の一幕だ。翌年には主は王国へと向かい、命令を果たす場は無くなったし、自身も主もそれどころではなくなってしまったが。
 あの頃とは随分と周囲は変化して、花冠を戴く意味も重みを持たなくなった。

「……そうですな。今年は、贈ってみるのも悪くはないですな」

 丸みを帯びたヒューベルトの声につられるように、フェルディナントの笑みが穏やかに深まった。

「私の分も用意してくれると嬉しいのだがね」
「おや、貰えないと思ったのですか?」
「いいや。だが、君もなかなか忙しいからな」

 表情は柔和なままだが、僅かに拗ねてみせる色がフェルディナントの声に滲んだのをヒューベルトは見落とさなかった。添えられて落ち着いていた相手の指先を自らの眼前に運んで口付ける。琥珀色の瞳が一瞬丸くなって、それから伏せられる。口付けた形の良い指が、ゆっくりと己の指に絡んできて熱を伝えてくるのを感じながら、ヒューベルトは目を閉じて二つの花冠を脳裏に思い描く。手先は器用な方ではあるし、次の休暇で時間が事足りると良いのだが。

「……くく、いずれにせよ、私もベルナデッタ殿の力を借りるとしますか。
 大事な人には、渡すに足る物を用意したいですから」
「そうだな。……ふふ、どちらが良き弟子になれるか、勝負といこうか」




2020.06.04
ベルナデッタはたまったもんではない



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