入団



 燭台の灯りが乾杯の音頭にうねり、耐えきれず一つの火が潰える。
 黒爪盗賊団の祝勝の場に選ばれ貸し切られた酒場は、血の臭いをまとった男達の賑わいに揺れている。ギャメルは団員への労いを済ませ壁際のテーブルに着くと首を巡らせた。

「おい。酒持ってこいよ」
「ひっ……」

 不幸にも目の合った給仕の娘はキャビネットに飛んでいくと一目散にギャメルに杯を差し出す。かたかたと震えている盆を一瞥して杯を手に取ると、なみなみと注がれた麦酒を喉に流し込んだ。焼ける感覚が胃に落ちるのを確かめるとギャメルは息をついた。
 ギャメルが盗賊を始めてから覚えた僅かな喜びの一つが酒であった。今まで一心に働き最低限の糧を手に入れるのがやっとの生活を過ごしてきたから、酒なんて自分には手の届かないものだと思っていた。どんな味がするのだろうと友と一緒に空想を楽しんだ想い出が色濃いが、実際一人で試してみれば風味は良いもののなんということもない味気のないものだ。ただ、胸に燻り続ける焦燥が濁されていく感覚は悪くない。
 二杯目を囃し立てる周囲の団員をあしらいながら料理皿をそちらへ押しやった。部下の慰労の為に祝勝会自体は必要だが、ギャメル自身は食事に手をつける気にもならなかった。今回の町への襲撃で得た成果など、妹の治療費用に比べれば子供の駄賃のようなものだ。薬一つを買うまでの道程がこんなにも遠いのかと気が遠くなる。とてもではないが喜ぶ気分ではない。
 下卑た冗談を交わし合いながら湯気の立つシチューをかきこむ部下達の団欒を眺めても、ギャメルの脳裏に浮かぶのは野菜屑ばかりが浮くスープを好物だと微笑み僅かに口をつける痩せた妹の姿だった。眼前に並べられた暖かい食事をそのまま妹に届けられたら、どんなに良いだろう。友と並んで夢想してきた、今まで手の届かなかった豊かな食事は暴力で奪えばこんなにも簡単に手に入る。その現実がギャメルには苛立たしくてたまらない。妹は病に蝕まれ床に伏し、夢と幽世の狭間を彷徨っているというのに、妹を狭い部屋に置き去りにして満ちていく世界が憎かった。

「お頭、お頭。聞いてますか。おかしらー!」
「……あぁ、呼んだか」

 外の見張りに立っていたはずの部下がいつのまにか側に控えていた。浮ついた声でこちらを呼ぶ様子に自然と苦笑が漏れる。先日ギャメルが黒爪盗賊団の頭目の座を譲られた際に特に喜んでいたのがこの男だった。そんなにお頭と呼べるのが楽しいものだろうか。

「仲間になりてえって奴が来てまして。お頭、どうします?」

 金で繋がり満足するまで稼げば離れる──黒爪盗賊団の鉄則上、団員の流動は激しく人手はいくらあっても足りることはない。転がり込んできた訳ありの人間を入団に相応しいか見定めるのも頭目の役目だった。

「人手は欲しいが、このタイミングはきなくせえな」
「ですよねえ」
「町の義勇兵が紛れ込もうとしてるんじゃねえか…今日は守備兵を随分斬ったからな」

 だとしても、料理を眺めているよりは怪しい入団希望者を冷やかしに行く方が時間潰しになりそうだ。ギャメルが立ち上がると、慌てた様子で部下は両手を振った。

「だもんで追い払おうと思ったんですが…名前をお頭に伝えれば分かるってんで」
「それで素直に俺に伝えに来る奴があるかよ…」
「へへっ、すいやせん。で、そいつマンドランって名乗ってましたけど、痛い目見せてきやすか」
「は……」

 思い浮かべていた候補の埒外から投げられた名に、一瞬思考が停止する。それは物心ついた頃からの親友の名前だった。マンドランが入団希望者なのか、あのマンドランが盗賊になりたいと言ったのか?

「マンドランって、あいつ、くそ…」
「……お頭、やっぱり知り合いだったんですかい?」

 困惑した声に反応する余裕もなく、ギャメルの身体は扉に向かっていた。


 酒場近くの袋小路で団員に監視を受けている入団希望者は、ギャメルと目が合うと片手を挙げた。

「よう、ギャメル! 随分探したぜ」

 監視の剣呑な視線をものともせずに快活に笑うその姿を自分が見間違えるはずもない。数ヶ月ぶりの再会だが、親友は全く変わらない。実際見目は少し痩せたようには見えるが、人相の悪さに似つかわしくない真っ直ぐな笑顔が、変わらずギャメルの眼前にある。

「…、帰れよ」

 低く押し殺した声で威圧しても、当然のように友は意にも介さない。

「なんだよ。黒爪盗賊団は金に困ってるなら入れるって言ってたぞ」
「お前はダメだ」
「団長がてめえの勝手で選り好みすんのかよ」
「…うるせえなあ」

 自分でも道理が通っていないとは分かっている。目の前にいるのがマンドランでなかったら、例え間諜であろうとも金目当てならばギャメルは団に招き入れる判断をしていたはずだ。
 友を前にして取り繕いきれず緩んでしまった語尾を拾うように、マンドランは喉奥で笑った。

「なあギャメル。俺も最近物入りなんだよ」
「欲しいものなんてねえだろお前は。デタラメ言うな」
「はあ? 嘘じゃねえって、俺だって欲しいもんは色々あるぜ。…かっけえ弓とかよ」

 意固地に口を曲げるマンドランの姿に思わず目を細める。自分に通じないのが分かっていて、友は下手な意地を張っていた。マンドランがそんなものの為に賊を選ぶはずがなかった。子供の頃から貧しく生を繋ぐ中で、どんなに飢えて動けずとも他者から揶揄されても、友は人道を踏み外さなかった。ごくたまに旅人から恵まれた一つのパンさえ、ギャメルと分け合っては笑う男だった。
 だからこそ、妹が倒れ治療に莫大な費用が必要になった時、ギャメルは友に何も告げず故郷を離れた。妹に罪なき罰を与える世界を呪いながら略奪を繰り返すギャメルの新たな稼業に、万が一にでも底抜けのお人好しが関わってしまったら。
 結局は、こうして危惧した通りになってしまったが。

「…マンドラン。お前は気にしなくて良いって言っただろ」

 間を置いて絞り出した声に、マンドランは口の端を吊り上げた。

「何の話だか分かんねえ。俺もさ、一日も早く大金貯めねえといけなくなったから、盗みでも殺しでもなんでもやるって決めたんだ」
「お前…本気で言ってんのかよ」
「本気も本気だ」

 睨み合うように視線をかちあわせたが、先に視線を外したのはギャメルの方だった。溜め息を吐き出すと、監視を解くよう部下に合図して踵を返す。認めたくないが、苛立ちと焦燥に支配されていたはずの心の狭間から、懐かしい安堵が生まれて顔を緩ませているのを自覚していた。

「…バカが。自分も食うに困ってるくせに、他人の家族の為に金を稼ぐ奴なんてよ…」

 舌打ちをしてから、ギャメルは改めてマンドランに向き直った。

「…俺の所にでも入んなきゃ、あっという間に食い物にされて終わりじゃねえか」

 友が自分で決めて追ってきたのなら、今更自分が止められはしない。マンドランは自身の信念には意固地な男で、だからギャメルにとって愉快であり気安い友なのだった。マンドランが盗賊になる意志を変えないのなら、他の盗賊団に加わって搾取されるかもしれないなら、きっと自分の側で置いておく方がよほどいい。

「じゃ、入団認めてくれんだな?」
「贔屓はしねえぞ。しっかり成果上げてこい」
「当然だ、任せとけよ! 弓も鍛錬続けてっからな」

 マンドランは意気揚々と使い込んだ弓を掲げてみせる。ギャメルは逡巡してから、友の背中を叩いた。

「マンドラン、…メシ食うか」
「金ねえからな…って、タダ飯してんのか? まあ、俺は良いよ。合流する前に、食べられそうなもん探してくる」
「このへんの野草って俺達の故郷近くとは種類違うだろ…」
「いやそうでもないぞ。歩いてくる途中で同じやつも見つけた」
「ヒヒヒ…ったくよお」

 友のことだから団員として成果も上げていないうちから食事を口にするのは筋が通らないとでも考えているのだろう。どうせこれから罪を重ねていくのだから、腹一杯にまで好きに食べれば良いものを、とまで考えてからはっとする。
 もしかすると、自分は妹だけではなく、友にも湯気の立ったあの料理を食べて欲しかったのだろうか。

「…さっきのシチュー、美味そうだったぞ」
「へえ! じゃあ、メシにありつけるように働かねえとな」

 例えそれが奪い取ったものでも、金を奪い兵を殺し罪を重ねていく中でも。この意固地な友が飢えずに、人並みの食事を食べて腹を満たせるようになるのなら。罪に手を染める中でもそれだけは唯一つ善いことなのだと信じられるかもしれない。妹を蝕む世界の条理のうちの僅かだけは憎まずに済むのかもしれない。

「……ギャメル。妹さん、絶対治るからな」

 ぽつりと落ちた真面目な声に顔を向けることはせず、ギャメルはただ頷いた。


2024.3.30
確かに安心してしまったのだ



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