弦のよるべ



 Ⅰ
 
 昼と夜のあわいの空に、天の光が落ちていく。
 じりじりとした光の筋が、頼りなく細い街路を暗く染め商人の足取りを急かしているが、町の門をくぐる人々の中に目当ての人物は見えなかった。

「……ギャメルのやつ、今日は泊まりかもなぁ」

 門を望む台地で一人寝そべり、マンドランは人を待っていた。疲労に強張る身体を草原に投げ出して空を仰ぐ。
 一月前、マンドランの唯一無二の親友ギャメルの妹が倒れた。
 最初の数日は過労が原因だろうとギャメルも自分も考えていた。妹の看病の為、ギャメルは隣町に足を運ぶようになったが、日暮れにはこの町に戻ってきてマンドランと夕食を共にした。両親と自分の事で苦労をかけたせいだとギャメルは気落ちしていたが、それでも笑い合う余裕があった。友の妹は病にかかっているのだと判明するまでは。
 町の医者から治療は無理だと匙を投げられてからというもの、ギャメルは見る間に憔悴していった。妹の看病で手一杯の友の代わりに、マンドランは医者探しに奔走する日々を送っていた。とはいえ、金も伝手もないのでは町医者に相手にされない。
 ならばと癒し手を頼ろうにも、パレヴィア正教をせせら笑い軽んじるマンドランを教会の司祭は唾棄している。奔走に見合う成果は得られていない現状であった。

「明日はどうすっかな……」

 九年前から現在まで続く帝国の重い徴収に、日に日に数を増す野盗の被害に、町の皆が生活に苦しんでいる。そんな中で富持たぬ自分達を救おうとする人間など滅多にいない事を、マンドランは知っていた。自身の事ならそうやって現状に納得出来ただろうが、親友の話となれば全く別だった。
 もう町に戻ろうと立ち上がった瞬間、草を踏む音が聞こえてマンドランは振り返った。

「ギャメル!」
「よう…待たせたな」

 夕焼けに照らされてもなお生白い顔が、マンドランを認めて僅かにほどける。ふらつく友に慌てて駆け寄り肩を貸すと、痩せた身体が身じろいだ。

「無理しすぎだろ。お前まで倒れちまう」
「別になんてことはねぇさ」
「なぁ、明日から俺が妹さんの所に行くよ。お前はしばらく休んでるんだな」

 返事の代わりに身体を離そうという抵抗がある。
 その場に座り込んだギャメルはじろりとマンドランを見上げた。

「ダメだ。移す病気かも分かんねえんだ…俺にもあんま触んなよ」
「気にするワケないだろ!」
「…妹が気に病む」
「それはっ…、すまねぇ、そうだよな」

 肩を落とすマンドランにギャメルは溜め息をついたが、そこに怒りの色は感じられなかった。

「お前には会いたがってるよ。毎日話をせがまれる。起きてるだけで苦しそうなのに、弱音も吐かずによ…クソ…」
「ギャメル……」

 マンドランは、ギャメルの妹とは未だ面識がない。子供の頃は貧しく汚れた自分に引け目があったし、なんとか手に職を得てからは新生ゼノイラ帝国の圧制を生き延びるのに必死で、ギャメルもまた家族を護るのに懸命になり、お互いに顔合わせの余裕がなかったのだ。
 それでもギャメルがどれだけ妹を愛しているかは十分に知っていた。家族を語るギャメルの顔はいつも柔らかく緩んでいて、時々眩しくなるような錯覚があって、だからマンドランは顔も分からない親友の家族を煌めく宝物のようだと思っていた。

「なんで…なんであいつが、こんな目に…」

 うずくまる姿を励ます言葉を持たない自分が歯痒かった。ギャメルが両親を亡くした時もそうだった。親友の痛みを分かち合い軽くしてやりたいのに、身寄りの無い自分では、家族を奪われる痛みにはうまく寄り添えない。

「…ギャメル。まずは飯食って少し休め。ほら」

 マンドランは努めて明るく声を出してギャメルの肩を叩く。袋からパンと干し肉を取り出して差し出すと、くぐもった舌打ちが聞こえた。

「いらねえよ」
「明日も行くんなら、ちゃんと食えよ。今のお前、病人と変わんねえよ。妹さんを気に病ませたくないんだろ?」
「……これ、お前の分もあるんだろうな」
「くく、ちゃんと二人分あるって」
「はぁ……」

 にやりと笑いかけると、ギャメルは渋々という顔でパンだけを受け取る。それを見てからマンドランもまた干し肉にかじりついた。噛む度に、獣の臭みと塩の辛さが主張しあう雑然とした味が口に広がる。

(妹さんが死んだら、ギャメルは…耐えられないよな…)

 親を亡くし無気力になっていたかつての友の姿を脳裏に浮かべて首を振る。これ以上、親友の大事なものが消えてほしくはない。
 何度咀嚼しても噛み切れない肉と一緒に、マンドランの胸にはいつまでも苦いものが残っていた。
 

 それから数日が経ったある日、いつものように隣町に発つ前にギャメルは告げた。

「医者を…見つけた。ゼノイラの軍医なんだと…話もつけた」
「なっ…お前、一体どこで…」

 思いもよらぬ話に虚をつかれて固まったマンドランを、ギャメルは黙って見つめている。今しがた朗報を告げてきたとは思えないほど、その表情は硬質だった。

「…アテが出来たのは何よりだけどよ。ゼノイラ軍の野郎は気に入らねえって言ってただろ」
「妹を治してくれんなら誰でも良いさ…ただ、」
「なんだよ?」

 ギャメルは漏れてしまった言葉を明らかに後悔しているようだった。

「…お前には関係ねえから気にすんな」
「ハァ? 何言って、…なんか困ってるんだろ、言えよ」
「何が困るって? ようやく治せる医者と会えたんだしよ」

 皮肉めいた笑いは、マンドランから見れば微かに強張っているように映る。マンドランを騙すには稚拙な態度だった。ごまかすだけならばギャメルはもっと上手に繕えるはずなのに、自分を前にしてこうもぎこちなくなる理由は一つしか思い浮かばない。

「……金か?」

 ギャメルの表情は仮面のように変わらなかった。

「マンドラン、聞こえなかったのか。お前はもう気にしなくていい…首突っ込むなって言ってんだよ」
「まさかそれで俺が退くだなんて思ってねぇよな」
「…………」

 口の回る友が嫌味の一つも言わずに黙り込む。
 図星の証左で、一人で背負い込む兆候だ。

「迷ってんなら言えよ。いくら必要なんだ? それとも、金以外の事情かよ」

 焦れて肩を掴もうとしたマンドランの手は、乱暴に振り払われる。

「もう妹は治るんだ、心配すんな!」
「っ、そんなに頼りねえかよ俺は!?」
「んなワケねえだろうが!」

 瞬間、沈黙が降りる。剥がれてきた本音は互いをすくませて、僅かに早く立ち直ったのは友の方だった。

「時間だ…妹に会ってくる。じゃあな」
「おいギャメル、」
「夜には戻るさ」

 踵を返して足早に去る背中を追いかけて、けれど途中でマンドランは足を止めた。

(……ちげえよ、俺。事情を聞きたいんじゃないだろ)

 ギャメルの力になりたい。ギャメルに一人で悩んで欲しくない。
 常にマンドランが友に抱く願いは、しかし言葉で誇示するものではないはずだ。友の頑なな態度に半端な自分を自覚して、マンドランは恥じ入った。
 遠くなる友をただ睨みつけるうち、気付けば血が滲むほどに拳を握っていた。
 

 それから一日二日と日を重ねても、ギャメルは戻ってこなかった。
 薄々予感していた事態だったから、驚きはしなかった。行方を探す為に、マンドランは友と同じように隣町に足を運んだ。マンドランの故郷で、初めての帰郷だった。かつて貧弱な孤児だったマンドランはこの町であらゆる悪意を受けた。同時に、親切な旅人と生涯の親友に出会ったのも、確かにこの町なのだった。
 酒場で知人とぎくしゃくした、控えめにいうと最低の時間を過ごして、会話の中でいくつかの情報を聞き出した。
 ギャメルの生家にゼノイラ兵が出入りしていた事、先日ギャメルが荷物を抱えて町を出て行った事、どうやらギャメルの妹は町のどこかに病床を移されているらしい事。

(こりゃやっぱり、無事治りましたって感じじゃねえな……)

 ギャメルの生家を訪ねて兄妹の不在を確かめた事で、かえって懸念が消えた。即座に旅立ちを決めたマンドランだったが、町ではゼノイラ兵の気紛れで民が切り捨てられ、路に出れば野盗がはびこる今のコルニアで一人の人間の行方を探すのは容易ではない。
 自分なりに考えた結果、マンドランは一傭兵として弓の腕を売り込みゼノイラ軍と契約を交わした。尊大に振る舞い民を見下す者達の手先になるのは抵抗があったが、ギャメルがゼノイラ軍医を頼ったというならばそれを糸口に手がかりを探すのが近道なのだと自分に言い聞かせた。
 ゼノイラ軍傭兵部隊の一員として旧コルニア王国軍の残党を潰している折に、マンドランは武装集団と遭遇した。
 自分を含めた何人かが武器を向けるのを見て、部隊長は言った。

「あれは黒爪か。本隊じゃなさそうだが……ああ、お前ら武器を下げな。あいつらはいいんだよ」

 黒爪盗賊団を名乗るその集団は何年もの間ゼノイラ軍と協力関係にあり、ゼノイラ軍は黒爪盗賊団に上納を求める代わりに町への略奪行為を黙認しているのだという。だからあれは放っておけと、隊長は笑ったのだった。
 傭兵部隊への要請は盗賊団の討伐ではなく、町で蜂起した小規模な反乱勢力への武力行使だった。捕らえた反ゼノイラ勢力の若者達がこちらに投げつけてきた、理想に燃えたまっすぐな瞳を、マンドランは直視出来なかった。

(腐ってんな……)

 任務を終え野営地で食事を取る傭兵達に紛れて、マンドランは携帯食を握りしめたまま漫然としていた。そうしていないと、腹底のむかつきと自らへの嫌悪感をやりすごせそうになかった。
 なんの気休めにもならないが、せめてこれは町の子供達に全て渡そう。携帯食を懐にしまうマンドランの横で、同僚の一人と隊長がうんざりした声をあげた。

「お上はどうしてプレーヌ砦を賊どもに渡しちまったんだか。おかげで俺達が野宿じゃないですか」
「黒爪盗賊団なぁ…頭が変わってから難癖も多いし、参ってんだよな」
「ああ、確かギャメルって奴ですよね? 不気味な雰囲気の」

 聞き流していた会話が突如として意味を持ち、マンドランは激しく咽せ込んだ。どう考えても、自分が探し求める名前が出てくる状況ではないはずだった。

「そうそう。上納金が高すぎるんだとさ。好き勝手略奪してる奴らがよく言うよな…最近は特に荒稼ぎしてるって聞くぜ」

 早打つ鼓動を服越しに抑え付けて、マンドランはかろうじて震える声を生み出せた。

「……そいつ、そのギャメルって奴よ…背ぇ低くて黒い髪してないか?」

 会話に割って入ってきた存在に面食らったようだったが、隊長は頷いた。

「家族を殺されでもしたか?」
「ダチなんだ」

 焦れた心地で言い切ると、隊長の顔にあからさまに軽蔑の色が浮き上がる。

「そうか、良かったな。オトモダチ同士で殺し合いにならなくてさ」
「顔見知りを斬るなんて傭兵やってりゃよくありますしね。こいつは恵まれてますよ」
「…………」

 黙り込んだマンドランをよそに、隊長達は話題を移し談笑に興じている。

(……あいつが盗賊なんて。いや、まだ決まってねえ…別人ならそれでいい。でもよ…本当にお前なら…)

 盗賊となったギャメルを想像しようとして、頭がずきりと痛む。盗賊団の頭と親友が同一人物だというなら、その目的はいよいよ明らかだった。だからこそ、他者から金品を、命を奪う友の姿を想像したくなかった。家族に天罰がくだるのは困るからと、荒れ果てた世にあっても、軽妙に回る口とは裏腹の堅気な生き方を歩んでいたのがギャメルという男だった。

(……ギャメル。お前はそんなに追い詰められてたのか? 盗人やるほど、そんなに金が必要なのかよ)

 だからといって他人を苦しめて良いはずがない。罪を重ねれば妹にも顔向けできなくなるだろうに。
 頭痛は酷くなる一方で、マンドランは眉間を揉んだ。

(これじゃ、まるでパレヴィア正教の信者どもみたいだな)

 盗賊はいけない。清く質素に生きるべきだ。罪を犯せば妹も苦しめる。
 軽薄な正論だ。そんなのはギャメルだって分かっているだろう。自分よりもよほど要領が良くて情の深い男なのだから。
 馬鹿馬鹿しい、と思った。
 こんな考えでは、親友が今抱えているものに触れられるわけがない。

(俺は、何が出来る? 妹さんも治せなくて、ダチも助けられなくて…。せめて金ぐらいは…どのくらい必要なんだ…?)

 マンドランは深く息を吸った。
 親友は今、何を思っているのだろう。一人きりで、苦しんでいるのだろうか。

(何が出来るかじゃねえよな。俺が、やりたいことは)

 ゆっくりと息を吐いても、じくじくとした頭痛は止まらない。その痺れる痛みは、むしろマンドランの迷いを消したのだった。


 ゼノイラ軍に事前に通達されていた黒爪盗賊団の襲撃日を狙って、マンドランは目的の町に向かった。
 門の見張りに立つ男はマンドランを認めると鞘から短剣を抜いた。

「ここは黒爪盗賊団の縄張りだ。痛い目見たくないなら帰りな」
「その黒爪盗賊団に入りてえんだけど」
「……ふざけてんのか?」

 男に胸倉を掴まれ、マンドランはなすがまま顎を上げた。短剣の切先が首元に触れる。冷えた刃先はブレひとつない。殺しに慣れた手付きだ。恐怖の代わりに、鉛を飲み込んだような重さが腹底に落ちる。この盗賊団は、末端の団員ですら殺し慣れている。

「大真面目に言ってる。あー、っと…」

 我ながら警戒されるのも無理はない。ならば目当ての人物の名前を素直に出した方が良いかもしれない。マンドランは男に軽んじられないよう、にやりと口の端を上げた。

「ギャメルって奴に、食うに困ったらこき使ってやるって言われたのを思い出してよ…ギャメルの野郎はこの団にいるんだろ?」
「…お頭が? デタラメ言ってんじゃねえだろうな…」

 その通りでたらめな約束だが、本人が聞いた所で笑いはすれど気にはしないだろう。
 それにしても、男の態度を見るにギャメルという名の男が盗賊団の頭領なのは本当らしい。しかし、もはやマンドランはそれが同名の別人であってほしいとは思わなかった。友に一刻も早く会いたかった。

「確かめてみればいいだろ、お頭によ。マンドランって名前を出せば会うと思うがな」
「この場で殺した方が話が早いんだぜ。分かってんのか」

 首にあてられた短剣が滑るように引かれる。浸み出す痛みと血が肌を伝う感覚は不快だったが、マンドランの心を波立たせるには及ばない。こんな度胸試しは子供の頃に何度も経験した。

「怖えなぁ。傷は顔ので十分だって」

 男は険しい表情を崩さぬまま、やがて短剣を納めた。

「……ついてこい。変な気起こしたらすぐ殺すぞ」
「分かったよ」

 男に短剣を突きつけられたまま、マンドランは町中を進んだ。家屋の隙間を縫うように歩いた先は開けた袋道になっており、武装した男達が待ち受けていた。
 見張りの男が頭領を呼びに行く間、この男達に囲まれて待っていろということらしい。少しでも動けば斬られそうな剣呑な空気を刺激しないよう、マンドランは従順に待っていた。

(…もっと緩く入れるもんだと思ってたが)

 単純に間が悪かったか、ある種の秩序が成立しているのか、盗賊団に余裕がないのか。いずれにしろ、黒爪盗賊団がどういう組織であろうが、マンドランの取る選択は決まっているのだが。
 悶々とした思考は、姿を現した頭領の姿を見た途端に吹き飛んでしまった。やつれたままの小柄な身体も、癖のある黒髪も、四白眼の強面も、その顔に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべているのも。間違いなくギャメルそのものだった。
 友を捜す日々の中で焦り悩んでいた全てが、一瞬で吹き飛んでいく。軽やかな心地のまま、つい周囲の目も気にせず片手を挙げてしまった。

「よう、ギャメル! 随分探したぜ」
「……、帰れよ」

 苦い顔のままゆっくりと細められた瞳に滲んだ色が拒絶ではないことが、マンドランは嬉しかった。例え憎まれても友に寄り添う意志は揺るぎようもなかったが、自分との再会に僅かでも安堵を覚えてくれたのなら、友を孤独から引き剥がせた何よりの証明になる。

(なあ、ギャメル。お前がどこに進んでも、俺はついてくよ。お前がひとりぼっちで苦しまないで済むように)

 かつてそうやって、幼いマンドランに手を差し伸べて孤独から救ってくれたように。
 ぶっきらぼうにマンドランの入団を渋っていたギャメルが、とうとう折れて力の抜けた苦笑を見せる。マンドランが悪名高き黒爪盗賊団の一員となった瞬間だった。



 Ⅱ



 マンドランは締め付けるような胃の痛みに襲われていた。

(まさか負けるとは…どうする…? 言い訳も思いつかねえ…クソ、あの王子連中さえ来なけりゃ…)

 マンドランはコルニアを縄張りとする黒爪盗賊団の一員である。老爺から天のかけらについての話を聞き、次の襲撃先をロンモート教会と決めた時、団員の反応は芳しくなかった。

『マンドラン、教会に手出しちゃまずいだろ。きっと一角獣の天罰があるぜ』
『そんなもんにビビってんじゃねえ! 今回は物ぶんどってくるだけで済むんだから、楽な仕事じゃねえか。お前、殺しが嫌になったから部隊を移されたんだろうが?』
『それはそうだけどよぉ……』

 発破をかけても渋る団員を強引に連れ、天翼騎士の不在を狙い教会を占拠した時点では成功を確信していた。しかし、突如として現れた年若い亡国の王子一人のために、マンドランの目論みは泡と消えてしまったのだ。
 団員を失い、何故か一人王子の温情に預かり見逃されたマンドランは、黒爪盗賊団の頭目であり親友でもあるギャメルと落ち合うために逃げ帰ってきたのであった。
 腕組みをしたままこちらの言葉を待つギャメルを前にして、マンドランの背中に冷や汗が伝う。報告するのだけでも気が重いのに、こうして相対するギャメルが部下を連れておらず、人の目が無いのが余計に嫌な想像をかきたてる。いくら自分とギャメルの仲といえど、相応の処罰はあるだろう。

「すまねえギャメル! トチっちまった…解放軍とか名乗る王子がやってきてよ、天のかけらを手に入れるどころか、…負けちまって」
「……そうか」
「王子が甘ちゃんだったんでこうして生きてるが、収穫無しだ。何か…何か、別の方法を考える。すぐに金を稼いでみせるから…頼む、もう一度機会をくれ」
「…いや、良い。気にすんな」

 叱責に備えていたマンドランは目を見開いた。今のは聞き間違いだろうか。

「……良いってなんだよ」
「俺もその王子に負けたのさ。牢屋にぶちこまれるかと思ったんだが…」
「お前も見逃されたっていうのか?」

 マンドランが敗北に膝をつき、苦し紛れの命乞いで親友の妹について口にした時、王子を自称する青髪の青年は奇妙に視線を泳がせていた。堂々とした振る舞いに混じった仕草だったから印象に残っていたが、今の言を踏まえて考えれば、あの時にはギャメルが率いる黒爪盗賊団の主力と接触していたのかもしれない。
 それにしても、弱みを隠そうとことさら悪辣に振る舞う現下の親友が、妹の存在を王子に漏らすとは。
 ギャメルは王子との戦いでどれだけ追い込まれたのだろうか、それとも。

(あの王子…甘ちゃんじゃなくて、良い奴なのかもな…)

 何にせよ、こうして友が生き延びているならそれ以上の事はない。自分の首も繋がったままで済むなら尚更だ。
 咎めなく落ち着きそうで安心する傍らで、ギャメルは視線を落として黙り込んでいた。

「……おい、ギャメル?」
「あー、いや、なんつうか…。マンドラン、俺…団を抜けてきたんだわ」

 それはマンドランにとって全く予想外の言葉だった。

「マジか!? 負けたケジメか?」
「安心しな、そういうんじゃねえよ」
「なら俺も話つけとけば良かったぜ…まあ、団長のお前と違って、俺はしくじって死んだってことになってるか」

 ギャメルが黒爪盗賊団を抜けるのなら、マンドランも団にいる理由はない。様々な事情を抱えた団員の中には気の合う者もいたが、金の為に盗賊を続けるにしても、親友の居ない盗賊団でやる必要は感じられなかった。
 マンドランは一人で空笑いに肩を揺らしたが、ギャメルの反応はない。妹を取り巻く状況は好転していないのに、最後に別れた際に身に纏っていた切迫した空気がすっかり薄れている。憑き物の落ちたような親友の姿は、嬉しくもあり寂しくもあった。

「俺は…一度、妹に会いに戻る。どうするか考えるのは、それからにする」

 王子との戦いで何があったのかは分からない。だが、今のギャメルは、妹を失う未来を一欠片だけ想像に含んでいる。他者から富と命を奪い妹に捧げる歪みに僅かに躊躇いを覚えている。そんな毒気の抜けた顔に複雑な思いを抱きながらも、マンドランの取る選択は違えようがなかった。

「…だからお前は、」
「じゃあ、すぐ行こうぜ」

 言葉を遮って軽く頷くと、ギャメルからは力無い笑みが返ってくる。

「…ついてきても、お前は妹には会わせねえぞ」
「分かってるよ。妹さんが治るまで我慢しとく」

 万が一最悪の結果を迎えるとしても、自身との顔合わせを励みにしているという少女の意志を無下にするつもりはなかった。

「そう、か。ヒヒ…マンドラン、お前は…変わんねえな」

 背中を小突くギャメルの仕草の懐かしさに、マンドランは昔に戻ったような心地に満たされて友を見下ろすのだった。
 

 何かを振りほどこうとするように口数の多くなったギャメルと共に、故郷への街路を辿るマンドランは、道中で荷を背負った人々とすれ違った。商人にしては無秩序な隊列に不審に思いながら通り過ぎようとしたマンドラン達を捉えて集団の一人が声を上げた。

「っ、ギャメルじゃないか! こっちはダメだ!」

 マンドランには目もくれず友に縋る男の顔に見覚えがある。マンドラン達の故郷で養鶏を営んでいる男だった。

「町が賊に襲われてるんだ、逃げねえと殺されちまうよ!」

 瞬間、顔色を変え走り出す友を視界に捉える前に、マンドランの足も動き出していた。

 正門の見張りを射抜き、ギャメルと揃って町に踏み入るマンドランの耳が、剣戟の打ち合う高い音を拾う。
 荒らされた露店が並ぶ通りの方々に転がる死体のうち、見覚えのない顔に近寄り外套をめくる。裏地に縫い付けてある紋章は、黒爪盗賊団としばしば勢力圏を隣していた盗賊団のものであった。

(……誰か、先に戦ってんのか?)

 盗賊らしき武装した死体の多さに違和感がある。この町の守兵の数と練度で、盗賊団にここまで渡り合えるとは思えない。マンドランは不審に思いギャメルを見返るが求める姿は無く、急いて友を探す。妹の事で余裕を無くしているのだろう、建物の影を縫うのも忘れ先行するギャメルを見つけたのも束の間、横から突如として飛び出た人影にマンドランは矢を定めた。

「危ねえ!」

 マンドランが弦を離すと同時に、凄まじい速度で上空から落ちてきた塊が人影と重なり、悲鳴が上がった。

「…お次はグリフォン乗りかよ! ギャメル、離れろ!」

 鷲と獅子の半身を併せ持つ幻獣は手綱を引かれて空を貫くような鳴き声を上げると、矢を番えるマンドランに首を向ける。グリフォンに跨る金髪の女性はつられるようにマンドランを一瞥したが、すぐに眼前のギャメルに注意を戻した。

「怪我はありませんか?」
「……それ以上近付くなよ。一瞬であんたの相棒を掻っ切ってやる」

 身に迫った危険に我を取り戻し剣を構えるギャメルにも、女性が動揺した様子はない。

「私は義勇軍をしている者です。あなた達の敵ではありません」
「義勇軍……」

 マンドランと同じように、ギャメルもグリフォンの装具に取り付け提げられた紋章の意匠を探っている。

「……今の礼は言っておく。が、賊じゃねえってんなら邪魔すんな。早く妹を助けにいかねえと…」
「…家族が取り残されているんですね? 私が助けに行きます、危険ですからあなた達は避難していてください」

 横合いから矢を向けられているにも関わらず、女性の空色の瞳は凛としてギャメルを見据えていた。

(……ギャメル。お前は…どうする?)

 降り落ちてきた善意を受け入れたくてためらう己を叱咤するように、マンドランは弓を構える腕に力を込め直す。
 ギャメルは暫く女性の様子を窺っていたが、小さく舌打ちしてやがて剣を収めた。

「……こうしてる時間が惜しい。譲り合うくらいなら、共闘と行こうじゃねえか。なあマンドラン」

 息つく内心を装って、マンドランは固く声を吐き出した。

「異存はねえぜ」
「お二人がよろしくても、民間人を危険に晒すのは抵抗があるのですが…」

 女性は眉を寄せてマンドランとギャメルを交互に眺め、そして納得を得たのか頭を下げた。

「戦闘には慣れているみたいですね。……では、手助けをお願いします」


 戦いにおいて空を制すというのがどういう意味を持つのか、何故弓兵が最優先で空を舞う飛兵を狙う必要があるのか。
 セレストと名乗った女性が、グリフォンと共に空を駆け盗賊達を次々強襲しながら町並みを進む姿に、マンドランは飛兵の恐ろしさを改めて見る思いだった。
 地上の敵との間合いの差し合いに優れているだけではない。ギャメルが奇襲を狙い身を伏せられるように、狙撃に集中するマンドランに敵の狙いが及ばぬように、グリフォンと声を掛け合いながら的確な支援をこなしているのだった。

(戦い慣れしてんのはどっちだよ…!)

 可憐な戦士の功績により、盗賊達が町を食い荒らす暇もなく、マンドラン達は本陣で呑気に寛いでいた盗賊団の頭目の下へと辿り着いたのであった。
 
 縛り上げられた頭目の男は、マンドランら三人に見下ろされ身を縮こませていた。男の震える瞳は、ギャメルただ一人に注がれていた。

「黒爪のギャメルかよ…な、なんでここに…!」
「なにすっとぼけてんだ。てめえはよ、わざと俺の故郷狙ったんだろうが? 前に団員を引き抜かれたのがそんなに悔しかったか?」

 ギャメルは短剣を投げて弄びながら男に微笑みかける。纏う殺気に良く似合う獰猛な笑みを、黒爪盗賊団の頭として培った親友の酷薄な一面を、マンドランは黙って見守った。親友の家族が危険に晒された以上、自分としても男がこれから迎える末路を止めるつもりもない。

「ひっ…ち、違う…知らなかった…! 俺達、ゼノイラ軍から依頼を受けて…お目溢しの上に報酬も貰えるなんて美味い話だって…!」
「…………」

 男の必死な命乞いに重なった既視感を忘れようとして密かに唾を飲み込む自分の姿を、怒気に染まった友が見ていないのは、マンドランにとって幸いだった。

「…そうか、ゼノイラの野郎がね。あいつらは平気でそういう仕業をするよな。そうだよなァ、よく分かった」

 短剣を回していたギャメルの手が止まる。男の首元めがけて振り下ろされた刃は、すべらかに現れた両刃斧によって防がれて、耳鳴りのような音を立てる。

「……なあ、嬢ちゃん。どういうつもりだ」

 斧の持ち主の女性は三者それぞれの視線を受け止めて、冷え切った処刑場に春風のような声を響かせた。

「この方の身柄は私達義勇軍が預かり、領主に引き渡します。私刑はさせません」
「そりゃどうもご丁寧なことで。だがコイツは妹を、」
「ギャメルさん」

 短剣を握るギャメルの白い手は、血色の良いしなやかな手によって覆われる。突然の接触に言葉を失うギャメルに、セレストは詰め寄った。

「先に妹さんを探しましょう。きっと、私の仲間が助けていますから」

 曇り一つない青空のような瞳で友だけを捉えて、セレストはゆっくりと言い含めた。

「必ず、生きています」

 その言葉にはっと息を呑んだのが自分だったのかギャメルだったのかは、マンドランには判別がつかなかった。ただ、友は、憤りの正体に向き合うように呼吸を重ねていた。

「……そうだな。その通りだ…お嬢さん」

 友の手をあたためた細い手が、役目を終えて穏やかに離れていく光景は、マンドランの胸に目が覚める想いをもたらしていった。


 果たしてギャメルの妹が隔離されている家屋は、義勇軍の一人によって守られて何の被害も被っていなかった。
 セレストら義勇軍とマンドランを外に残し、蒼白な顔をして妹の眠る部屋に向かうギャメルを見送ってから、マンドランは口を開いた。

「セレストさん……あんた、強えな」
「そうだと良いんですけど」

 曖昧な微笑みを浮かべたまま、セレストはおずおずと後ろ手を組む。

「…ギャメルさんの妹さん、具合が悪いんですか?」
「ああ…年の初めに倒れちまって。重い病気みたいでよ、…俺も詳しくは分からねえんだが」
「そう、なんですか……」

 セレストは何か思案するように顎に手を添える。無闇に気遣わせてしまっては良くないと、マンドランは話題を変えた。

「セレストさんって、多分ここらの人間じゃねぇよな? この辺りで義勇軍の噂なんて聞いた覚えがねえし」
「はい。私、エルヘイムの生まれで」
「エ…エルヘイム?」

 自然と耳にずれるマンドランの視線を予期していたようで、セレストは羽のような金髪を撫で付けて丸く小さな耳を示した。

「ふふ。人間ですよ、私」
「う…わりぃ。エルヘイムにはエルフしかいねえんだと思ってたからよ」
「大多数はエルフとダークエルフですよ。でも、人間だけで暮らす町もありますし…ゼノイラ軍が現れてからはコルニアの難民が増えてるので、そう珍しくもないですよ」
「へえ…流れ者でも上手くやれるもんなのか」
「それは…」

 言い淀んだセレストを気にかける前に、扉の開く音が二人を遮った。ほとんど血の気が失せている顔で戻ってきたギャメルは、口元だけを薄く笑みの形に描く。

「…ひでぇ顔だな」
「ギャメルさん…」
「恩に着るぜ、セレストのお嬢さん…。妹にもう一度会えて…良かった」
「お礼はいいですから。休んでください」

 ギャメルは首を振り、壁に体重を預けると顔を片手で覆った。

「さっきはどうかしてた。俺がしてきた事はこういう事だって、頭では分かってたはずなんだがよ」
「ギャメル……」
「…分かっていても、あぁクソ、やっぱり…このまま諦めるなんて出来るかよ。どうすりゃいい…」

 思わず手を伸ばしかけて、マンドランは自らの片腕を捕まえ抑えた。自分にはどうにも出来ないと分かっているから、唇を引き結び膠着に耐える。
 どうしようもない息苦しい静寂を破ったのはセレストだった。

「……ギャメルさん。よろしければ、妹さんを父に診させてもらえませんか。私の父は医者なんです」
「あ、ああ…? お嬢さんなら構わねえが…今より体調がマシだった頃も、治らねえって匙投げられてんだ…今更…」

 青い瞳が曇り、無意識なのかセレストは胸の上で拳を握った。

「ギャメルさん。諦めないで、いてくれませんか。誰か一人でも、…一人だけでも、信じ続けてないとダメなんです」

 強く力の入った指先のせいか、その真摯な願いはどこかセレスト自身に言い聞かせるような印象でもあった。
 長い沈黙の後、振り絞るような声がその場に落ちた。

「……、頼む…治してくれ。死なせたく、ない……」
 
 到着早々に診察を終えたセレストの父は、安心させるように皆の前で頷いた。少女の身を蝕む病は、エルヘイムの神樹の葉を用いれば治せる病なのだという。親子のやり取りを聞くに相当貴重な材料に思えたが、セレストの父は惜しみなく薬を作ってくれた。

「二日もすればあの子は目覚めるよ。目覚めて食事が取れるようになったら、もう一度薬を飲んでもらおう。…お兄さん、なんとか辛抱してくれ。あの子も戦ってる」

 セレストに良く似た、しかしセレストと違って細い皺に囲まれた空色の瞳をした男は、そう言って晴れ晴れと笑ったのだった。
 
 ギャメルとセレストの後に続き、マンドランは恐る恐る部屋のノブを回した。
 引けた心はベッドに駆け寄る背中を追えず、毛布からはみ出た骨ばった手を握りしめる友の姿をただ視界に収めていた。
 陰影の深い瞼がぴくりと震え、永遠のような時間をかけて開かれた。黒い瞳は緩やかに傍らの兄に焦点を結ぶ。

「にい…さ、ん」

 ようやく唇から這い出た音はかさついていて、か細く、けれど夜明けを告げる鶏鳴のように、身体の全ての膜を貫いてマンドランの心をぐらりと揺らした。

「ッ…! よく、がんばったなぁ…もう少しだ、もうすぐ…治るからな…」
「ん……」

 黒髪の華奢な少女が、深く苦しみを眉間に刻みながらもたたえた優しい瞳が、顔を伏せ身体を大きく震わせる兄に注がれている。それがあまりに美しく思えて、マンドランの目に焼きついて離れなかった。


 まだ安静が必要だと扉の向こうから告げられて、マンドランら三人は部屋の外に戻ってきた。
 すっかり安心したのだろう、ぐったりとした友の身体に肩を貸しながら、自身の芯に込み上げる熱い奔流を感じている。
 親友の大事なものが失われずに済んだ。天でもなく悪徳でもない、親友を掬い上げるものが、確かに世界には存在したのだ。

「なぁギャメル…、よかった、…な、……っ」

 視界がゆらゆらと定まらない。ようやく自分が涙を浮かべているのに気付いて、マンドランは慌てて顔を伏せた。頬を次々濡らす感覚は血よりもさらりと快く、だから慣れなくて恥ずかしい。友の前だろうと、友の前だからこそ、幼稚な弱さを晒したくない。人前で泣いても損しかないと、幼いマンドランに貧民街を生きる精神を教えてくれたのは他でもないギャメルなのだ。

「……マン…ドラン?」

 ひどく柔らかな友の声が聞こえた気がして、初めて聞く声音を信じ切れずにぎこちなく首をひねる。呆然とした心地で、マンドランは涙に濡れた顔を友に曝け出していた。

「…………、」

 ギャメルはゆったりと瞳孔を細め、口を動かそうと頬を緩めたが、結局は聞き取れる音とはならなかった。
 一つ呼吸を深く取ると、ギャメルはマンドランから視線を外した。セレストに向き直ると、深くこうべを垂れる。

「お嬢さんも先生も、なんて礼を言えばいいか…厚かましいのは承知だけどよ、治療費は…一生かけて返すから、なんとか工面するからよ、治療を続けてくれねぇか…」

 目をこすって涙を擦り消したマンドランも勢いをつけて頭を下げた。

「セレストさん…頼む」
「その、あの…頭を上げてください」

 慌てふためいて手を振るセレストが視界の隙間から見える。

「頼まれなくとも当然ですよ! 父から話があると思いますけど、お金はいりません」
「なっ…!?」
「……正気、かよ」

 思わずマンドランは顔を上げた。身を強張らせるギャメルの警戒心が手に取るようだった。

「皆が苦しい世の中だから、私の手が届くだけでも誰かを助けたい。私は…それだけなんです。父も了承してくれました、お金の無い人からは貰えないって」

 セレストの言葉は、風が頬を撫でるような、てらいのない明るさに満ちていた。

「……お人好しにも…ほどがあんだろ」

 かろうじてギャメルがこぼした返答は困惑の色に浸かっていた。驚いて途方に暮れる友をよそに、マンドランの腑に不思議と落ちるものがある。

(ああ…やっぱり、この道でいいんだな。なぁ、旅人さん)

 飢えに寝転ぶ幼いマンドランにパンを分け与えた、名も知らぬ旅人。あの人はやさしい瞳をしてセレストと同じ事を言った。出来る範囲で人を助けられたらそれで良いのだと。
 セレスト達の魂のどこから、善意の泉が湧き出てくるのだろうか。本当は、そう在りたかった。旅人から背を向けて血に濡れた道を選んで進んできたが、こうして同じ道を再び仰ぐ事が出来た、ならば。

「なら、せめてあんたの手伝いを…義勇軍に入れてくれねえか」

 マンドランの思考と、探るようなギャメルの声がぴたりと重なる。その現実に相好が崩れていくのを自身で止められそうにない。友の選んだ道はマンドランが選びたかった道だ。あの日の旅人のように、舞い降りて希望を差し出してくれたセレストのように、人助けが出来る。

「もちろん嬉しいです、けど…よろしいんですか? 給金の保証は出来ませんし」
「あんたはそんなつもりじゃないだろうが、タダってのは恐えもんなんだよ。少しでも恩返しさせてくれ」
「セレストさん、俺も手伝うぜ。ギャメルの恩は俺の恩だ」

 セレストが恥じらうように小さく頷くまでに、そう時間はかからなかった。

「…実のところ、義勇軍も人手不足で…ギャメルさん、マンドランさん、嬉しいです。不束者ですが義勇軍の仲間ともどもよろしくお願いしますっ」
「ん? なっ、…なんて?」
「ヒヒヒ…こりゃあ、手強いお嬢さんだな」

 嫁入りに身を委ねる深刻さで告白したかと思えば、順番に握手を求めて笑顔を花開かせているセレストに、マンドランは意表を突かれて友と顔を見合わせたのだった。



 Ⅲ



 最初に感じたのは熱さだった。
 左足が発火したような錯覚を覚えて、マンドランは視線を落とす。アルバーチ材で拵えた矢が腿を深々と貫いている。天翼騎士の弓兵が用いる、神経に作用する魔法が付与された矢だった。
 地面に薄く落ちる影が、矢を放った敵の居場所を知らせていた。

「っ、そこだァ!」

 痛みが目覚める前に、反射的にマンドランは矢先を空中に向け、弦を弾いた。空を滑る人影の中心を矢が貫いて、有翼の弓兵は墜落していく。
 しばし空を睨み、敵がいない事を確認するとマンドランは膝を付いた。地に着いた衝撃で腿に刺さった矢が動き、危うく声を上げる所だった。

「……ってぇ…」

 痛みに加え、魔法の作用か手足が鉄のように重く、動くに動けない。なんとも見事に不意を打たれてしまった。
 先刻偶発したゼノイラ軍の哨戒兵との戦いはマンドラン達の部隊の優位に進んでいたのだが、潜伏していた弓兵を見落としてしまっていたようだ。
 幸いにも癒し手のタチアナが傍で戦っており、すぐに傷口の検分を行う。

「…太い血管は外れているわ」

 鞄から道具を取り出すタチアナの手つきをぼんやりと眺めているうちに、散開していた同じ部隊のセレストとギャメルも戻り、マンドランの傍らで返り血を拭っていた。

「お疲れさん。セレストさんもギャメルも大きな怪我は無さそうだな」

 きゅう、と不服そうな鳴き声をあげたもう一羽の仲間に、マンドランは笑いを噛み殺した。

「分かってるよ。お前も無事だな」

 満悦の様子で頭を下げるグリフォンを撫でてから、セレストが地面に降り立つ。

「マンドランさんの傷はどうですか?」
「傷は深いけれど、この場で塞がると思うわ」
「そりゃあ良かった。おいマンドラン、ついに絶好調が崩れてきたか?」
「ぐ…当てんのは完璧だったろ!」

 自身の警戒不足が招いた結果であり、愛弓ギャメル二世は存分に力を発揮してくれた。側に屈むギャメルに抗議の視線を送るが、「おーおーそうだな」と生返事を返された。

「ギャメルさんっ、まずは治療を」
「ヒヒ…こりゃあ失礼」

 ギャメルはマンドランの肩を叩いた。これから始まる行為を想像して、マンドランは浅く息を吐く。矢傷はこれがあるから辟易してしまう。

「セレスト嬢、そっちは頼むわ」
「はいっ! マンドランさん…失礼します。頑張ってください」
「あいよ…」

 セレストから渡された布を丸めて口に放り込む。腿を抑える少女の細い手の力強さに励まされて、いよいよマンドランは心構えを固める。

「…マンドラン、行くぞ」

 マンドランはギャメルに視線を向けた。人を食った笑みの奥の、真剣な眼差しと目が合う。頷くと、ギャメルは矢を握り傷口と垂直になるように慎重に引き抜いた。
 強烈な痛みがマンドランの全身を焼き、半瞬視界が暗転する。反射的な悲鳴は布に吸われてくぐもった音に変わってくれた。布を必死に噛み締めて鏃が上がるのを耐えるうち、堰を失い血が溢れる微かな音が耳に届く。
 矢が抜けるとタチアナはすぐに傷口を水で流し、祈りの句を唱えて杖をマンドランの腿に寄せた。痒みと張り詰めた痛みとともに、傷口が塞がっていく。
 痛みの揺り戻しに眩暈を覚えながらも、マンドランは口から布を吐き出した。

「っ、ぐう…ありがとな…」

 タチアナは僅かに唇を和らげ、すぐに物憂げに眉を寄せた。

「…セレスト。怪我人も出たし頃合いじゃないかしら」
「そうですね…ミリアムさんの部隊と合流して補給しましょうか。橋を越える前に足並みを揃えたいですし」

 マンドランの背中をさすりあどけない安堵を浮かべていたセレストは、すぐさま顔を引き締めて立ち上がりグリフォンを呼ぶ。部隊長として素早く判断をくだせるセレストの怜悧さは、エルヘイム義勇軍として戦っていた頃よりも更に磨かれていて素直に感心するばかりだ。

「じゃ、俺の方はアレインの旦那に報告してくるかね…ヒヒ、怪我人はごゆっくり」

 ギャメルもまた、マンドランに肩を貸し立ち上がらせると、足早に姿を消したのであった。
 

 一通りの傷の後処置を終え、残されたタチアナとマンドランは野営地に戻った。魔道具で火を起こし簡素な食事を取った後も、タチアナは隈の浮いた顔で風に揺らめく炎を見つめていた。
 タチアナとマンドランが同じ部隊になってまだ日が浅いが、気が付いた点がある。どうもタチアナは寝不足が習慣化しているようだ。戦闘の度に癒し手として魔法を行使して消耗しているだろうに、セレストの言によると読書や薬の調合で夜中まで起きているらしい。

「おいタチアナさん、少し寝てたらどうだ」

 隣に腰掛けたマンドランに、タチアナは拒絶も歓迎も見せなかった。

「あなたこそ、治したばかりなのだから安静にしていなさい。深い傷だったのだから」

 治癒魔法で傷を塞いでも痛みの感覚は幻覚のように残る。だが今回の傷なら二、三日も経てばその感覚も収まるだろう。自然治癒を待つのに比べればありがたいことだ。

「俺は丈夫だからな。あんたは疲れてるだろ」

 手当てをしてくれた相手に火の番を押しつけるのでは、とてもではないがマンドランの気質上休むに休めない。
 タチアナはちらとマンドランの脚を気にして、すぐに炎に興味を戻した。

「…元盗賊の義勇軍。罪滅ぼしでもしてるのか…事情は興味ないけれど、無茶な戦い方をされると迷惑なのよ」
「戦い方は昔からだけどな。でも確かに、天使の奴ら相手でギャメルの無茶は増えてんだよな…」
「あなたに言っているのよ。弓兵なのに突出しすぎている…この怪我もそれが原因」

 彼女を消耗させた張本人である以上、苦言は甘んじて受けた方がいいのは分かる。だが、正規軍出身の弓兵と比べて間合いを近く取る自らの戦法は早々変えるつもりはない。タチアナの呆れた声にもマンドランは得意の内心を隠さなかった。

「弓兵が…俺っていう恰好の囮がいると、ギャメルが動きやすくなるからな。この戦い方が慣れてるんだ」

 身軽な体を活かして時に気配を消し時に囮となり遊撃する親友を支援する為に、自然と学んだ立ち位置だった。

「そう。盗賊だった時はそれでも良かったのかもしれないけど、その戦い方を続けていると死ぬわよ。…お友達に後悔を背負わせたいのなら、好きにすればいいけど」

(俺が死んだら……考えたこともなかったが)

 マンドランはタチアナの横顔を覗いた。感情の読み取りにくい焦色の暗い瞳だが、炎に照らされると強い意志を宿しているのに気付かされる。

「あんたは…親切だな。元盗賊の俺は嫌いだろ? なのに心配してくれてるんだな」
「都合良く考えたわね。あなたの心配はしていない…死に急ぐのは見過ごせないだけ」
「自分の好き嫌いは関係ねえってか。立派じゃねえか」

 癒し手を体現する信念に素直に感嘆したのだが、タチアナの横目には非難の色が浮かんでいてマンドランは肩をすくめた。

「まぁ、死なねえようには気をつけてる…大丈夫だ。死んだらあいつの手助けもできなくなるしな」

 親友を孤独にしたくないからここに生きているのに、道半ばで死んでしまっては意味がないのは確かだ。
 タチアナは口元に手を添えて、何か考え込んでいるようだった。

「…ただの友達にそこまでして何の見返りがあるのかしら」

 タチアナと初めて会った日、焦燥した様子でうずくまっていた彼女に声をかけた時にも、疑いの顔で見返りを疑われたのだった。記憶を辿る中でつい笑みが漏れる。
 そんなに不思議な事なのだろうか。友人に返したい恩義はあれど、受け取るべきものなどありはしない。

「またそれかよ。ダチなら尚更関係ねえって。俺ってさ、子供の時にあいつに人生救われてるからよ。だから、人生丸ごと使って、あいつの大事なモンを守りてぇって…それだけだ」
「そう。……そういうことなら、気持ちは分かるわ。私にも同じような人がいたから」

 冷ややかな反応を予想していたマンドランは、眦を下げたタチアナがこちらを向いた事に驚いた。

「それが…形見の相手か。ジスラン様、だったか?」
「あなたには関係ない。……いえ」

 言ってから、タチアナは数度瞳を瞬かせた。

「……そうよ、マンドラン。私はジスラン様に命を救われたわ」

 付け足された吐息に似た言葉は細く寂しい響きだった。

「だから、あの人のお力になる為に一生を捧げようと思った…理想を叶えたかった。どんな手を使っても」
「どんな手を使っても、か」

 タチアナが解放軍に入った経緯は自分には知る由もなく、彼女自身もみだりに口にするつもりはないようだ。だが、解放軍中核の面々がタチアナに投げる信頼と警戒の複雑な視線は、マンドランには痛い程に見覚えがある。
 きっと彼女は、覚悟をもって血に濡れた道を歩んできたのだろう。自分と違って、その覚悟を貫き通してきたから、大切な人を見送って、形見を抱いてここにいるのだろう。

「何があったかは分かんねぇけどよ。俺はあんたを尊敬するよ」
「何を…。本当に、変な元盗賊ね」

 和らいだ空気に満たされた闇空を、口笛に似た羽音が切り裂く。セレストとグリフォンの帰還を知らせる羽音だった。
 タチアナは立ち上がると、服の裾を払った。

「結局どっちも休息しないなんて、損してるわね」
「気晴らしになったし、俺は得したぜ?」
「……あなた、良い性格してるわ」
「そりゃどうも」

 からかうように笑いながら、マンドランも火の始末を済ませて立ち上がった。

「よし、行くか。タチアナさん、今日は形見はちゃんと揃ってるかよ?」
「うるさいわね…」

 ミリアムら薔薇騎士団の部隊が合流すると、見張り番を彼女らに任せる話となり、マンドラン達の部隊はこのまま野営地で一夜休息を取る流れとなった。
 マンドランは天幕に戻って早々に寝床に転がった。
 神経が惑い、身体が熱を発している。常より弱った身体が静寂に怯え出すのをなんとかしようと、マンドランは立てかけてあった愛弓を毛布の中に引き入れて抱きしめた。寝苦しい夜にはこうするのが一番良い。

「……ギャメル」

 弓の名前をそっと呼びかけ、相棒を労るように撫でる。その速度に足並みを揃えるように、胸の鼓動が落ちていく。倦怠感が闇に溶けて、マンドランの意識は身体を離れ底へと沈んでいった。
 
 照明が絞られた小さな部屋にぽつんと置かれたベッドに、ゆるやかな黒髪をシーツに落とした少女が収まっている。そのすぐそばで、ギャメルが椅子に腰掛けている。薄闇の中でも、妹の頭を撫でる友のまなざしを確かに捉えて、ひどく安らいでいく自分を、マンドランの意識が奇妙に俯瞰していた。

(…やっぱお前さ、そういう顔してんのが良いよなぁ)

 子供の頃から、ギャメルが家族を語る時間が好きだった。父母の愛を照れくさそうに呟き生まれたばかりの妹を見守る友の優しい顔に、マンドランが知りえない血の絆に、幼い心は焦がれていた。時には家族のない自分の身を寂しく思い、ギャメルのような兄がいればとも夢想した瞬間だって少なくはない。
 成人した今ではそんな感傷も笑い話だが、ギャメルの家族を、友が自然に笑える居場所を、自分の家族のように守ってやりたいと思う気持ちは変わらない。

(早く妹さんと話してえ、けど…俺は…そこに行って、大丈夫だよな…)


 額にひやりとした感触があり、意識が引き上げられた。生白い骨ばった掌が夢の名残のようで、目を瞬かせる。何度か瞼を上げるうちに、こちらに腕を伸ばしているギャメルと目が合った。状況を推察するに体温を測られていたらしい。

「…おうギャメル。戻ってたのか」
「熱が出てきてるな」
「そうか? お前の手が冷たいんだろ。少し火に当たってきたらどうだ」

 発熱の悪寒をごまかそうと大仰に身体をさすってみせる。ギャメルは手を離してひらひらと振った。

「ヒヒ、俺がいちゃ嬢ちゃん達の気が休まらねえだろ? …で、お前は何してんだよ」

 ギャメルの腕が、今度はマンドランの毛布に伸びる。毛布はあえなく捲られ、弓を取り上げられた。

「あっ…ギャメル二世ー!」
「寝る時まで持ち込むなバカが!」
「まあ聞けって、」
「俺には分かんねえから胸にしまっとけ」
「まあまあ。ギャメル二世と一緒に寝るとな、悪夢を見ねえし寝覚めもいいんだよ。お前も真似して良いぜ」
「気持ち悪いんだよ! 別のもんにしとけ!」
「ギャメル二世じゃねえと駄目なんだよ」

 とりつくしまもないギャメルにマンドランが念を押すと、とうとう友の口元がひくついた。どうもギャメル二世のこだわりに関しては理解を得られそうにないのが残念だ。自分の命を預け、大切な友を守るための道具には、相応しい名前と相応しい扱いが必要なのだが。

「王子さんの指揮によっては、お前と別の部隊になったりするだろ? お前が隣に居ない日の安眠方法を探してたんだが、こいつを代わりにしたら丁度良くってよ」

 盗賊時代の野営ではギャメルの勘の鋭さに頼り切っていたのを痛感するばかりである。マンドランがしみじみと言うと、ギャメルは頭を抱えた。

「……。俺の代わりにしてるって…お前、どういう…」

 ギャメルはマンドランの隣に陣取り座ると、眉間に皺を寄せた。

「お前ってよぉ、……はぁ。そういう所、どうかと思うぜ……」

 誤解を与えている気がして、マンドランは否定の意を込めて鼻を鳴らした。子供のように添い寝を求めているわけでも、逆に同衾の趣味があるわけでもない。

「別にお前と寝てえとかじゃねえよ? お前の実力を信用してんだよ、分かるだろ」

 弁解を終えると、何故かギャメルは一瞬黙り込んで、それから視線を逸らした。

「…ともかく、今日は俺がいるんだから二世はいらねえだろ。さっさと寝て、…さっさと治せ」
「チッ、分かってるよ。お前も深酒しねえで寝ろよ」

 ヒヒヒ、と喉奥で笑う低い声は聞かずの返事だった。

「飲む分をメシに回せって、いつも言ってんだろ…」

 瓶を手に取る物音に耳朶をくすぐられながら、毛布を被りマンドランは目を閉じる。

「ったく、単純な奴は羨ましいもんだな……」

 友のいつもの軽口は、愛弓を抱く時よりもよほど心強い。
 マンドランの意識は、発熱に浮かれながら再び眠りに落ちていった。



 Ⅳ



 新生ゼノイラ帝国皇帝ガレリウスは、ついに斃れた。それは同時に、生まれた国や立場を越えて集結した解放軍が役目を終えた事を意味していた。セレストへの恩返しの延長で解放軍に参加したギャメルだったが、王子アレインの下で戦う日々は充実していた。グランコリヌ城をアレインの手に取り戻した時、柄にもなく自分事のように嬉しくなって、だからこそ思ったのだ。戦いを終えた今、アレインの名を守る為にもきちんと自分の所業にけじめをつけに行きたい、と。
 グランコリヌ城一帯を解放しゼノイラ軍残党の処遇に追われるアレイン達の元を離れて、ギャメルはコンキアージの町に赴き衛兵に身柄を差し出した。城を発つ前にセレストはじめ何人かの仲間は引き留めてくれたが、ギャメルの意志は揺るがなかった。
 当然のような顔をしてマンドランが自分に続いたのは流石に苦い思いがあったが、経緯はどうあれ盗賊時代に犯した罪は同じだったから、断固として同伴を譲らない友を言い負かせなかった。処刑も覚悟して赴こうとしているのに、そこに連れて行く意味を分かっているのに、結局ギャメルは友を手放せなかった。
 
 牢屋に入り外の世界から隔たれてしまえば、死の臭いが漂う狭い部屋でただ胸の内と向き合う他はない。思考の深みに沈み、時間の許す限り自らの弱さを掬い取っていく。
 ギャメルの故郷では盗賊は大概は腕を切り落とされて放免されていたが、もしこの町でも同じ処置で済むならば。そこまで考えてから、虫が良すぎると自嘲する。犯した罪を自覚した当初は罪悪感に押し潰されそうだったのに、解放軍での日々を経た今は、まだ生きていたいと思ってしまっている。生きて、恩人セレストのように多くの人を助けて、一生をかけて償っていきたい。
 自分の、そして何よりも、自分に寄り添う友の命が惜しくて仕方ない。
 

 地下牢で処遇を待つ日々は、存外早く終わりを迎えた。戦後処理の合間を縫って、わざわざアレインが足を運んできたのだった。地下の薄汚い空気を打ち晴らすような清爽さを纏ったコルニア王国次期王は、澱みなく言葉を放った。

「ギャメル、俺の即位に伴う恩赦の対象にお前を選んだ。もちろん、マンドランもな」

 差し伸べられた手に、しかしギャメルはかぶりを振った。特権階級の善意を塗りたくった強権の行使は、相手がアレインであればこそ苦笑するだけに留められた。

「ハァ…王子様よぉ、勘弁してくれねえか」
「そもそも、お前は牢に入る必要は無かっただろう。俺が身柄の自由を許していたんだから」
「それが戦時中の特例だったのは分かってるよ。ガレリウスをぶっ潰した今、まずはここで罪を償うさ」

 アレインは引く素振りを見せず、むしろ柔らかく口元を緩めた。

「…俺がお前に恩赦を与えようと決めた理由が分かるか」
「セレスト嬢にでも頼まれて、ほだされちまったんだろ。あんたは甘ちゃんだからな」

 何度死戦をくぐりぬけようとも向こう見ずな寛大さを無くさない二人の恩人に対して、呆れを滲ませでもしないとまばゆく思う好意を隠せそうもない。
「確かにセレストから話は受けたが」

 と前置きしながらもアレインは青髪を横に揺らした。

「お前には俺の名前を背負って生きていて欲しかったんだ。人の名誉の為に働く方が、お前は迷いがないだろう?」

 夜明け前の赤空を映したような澄んだ瞳に、解放軍での日々を想起して息が詰まる。
 ギャメルが解放軍に入った当初、死兵となっても構わないとこぼした自分を根気強くたしなめたのもアレインだった。あの日から今日まで、アレインの言葉は残酷なまでに変わらずにギャメルを照らす。

「……アレインの旦那。あんたは本当に甘くて…ずりぃやつだな」
「はは…ずるくてすまないな」

 降参だった。王子の命令だからではない。どんな相手にも真摯に向き合い他人を信じようとする、命の恩人の名誉を背負えるならば、図々しく生にあがいても良いと思った。

「……分かったよ。あんたの名前を汚さず生きていく。…絶対に」
「心配していないさ。お前には信を置いている」

 そして、今見せていた堂々とした態度はどこへやら、アレインはためらうように声を抑えた。

「それでだ。もうすぐ戴冠式があるから…お前達も顔を出してくれると心強いんだが」
「…ヒヒ。おいおい、悪い王様だな…俺達を牢から出すのはその為かよ」

 喉奥で込み上げるもどかしい喜びをごまかして、ギャメルは笑った。

「……ありがとな、アレイン」

 そうして、ギャメル達は罪を抱えたまま、自由の身を選んだ。

 戴冠式を見届けたギャメルとマンドランは、喧騒に彩られるグランコリヌ城を離れ故郷への道を辿った。
 町では黒爪盗賊団の悪名に怯える者もいれば、義勇軍での行いに頭を下げる者、解放軍での活躍に好奇心を傾ける者もいた。
 二人に対して知己が様々な反応を示す中、妹だけは変わらずギャメルを迎えた。
 妹の背中に手を回し、深く抱きしめてギャメルは思う。この身体の厚みを、活力に満ちたぬくもりを、この瞬間をきっと一生忘れないだろう。
 ようやく実現した、奇跡のような幸福の時間だった。引き合わせた友と妹も穏やかに抱擁を交わし合い、なめらかに話に花を咲かせた。王子と肩を並べた武勇伝に目を白黒させる妹を見て、マンドランと二人で笑い合った。ここまでは確かに、ギャメルの気分は良く清々しい心地だったのだ。
 

 気を利かせているつもりか買い出しに席を外したマンドランを見送ってから、妹はギャメルに耳打ちしてきた。

「ね、兄さん。マンドランさんって結婚してるの?」
「なっ、」

 ギャメルは咽せかけて、間一髪なんとか息を飲み下して呻いた。マンドランと妹が話していた際、念願の顔合わせだからで済ませるには甘い緊張の空気が漂っていて、なんとなく嫌な予感はしていた。していたのだが、こんなに直球に探られるとは。

「……してねえが」
「あ、あのさ…良い人はいそうだった? もしかしてセレストさんと…」
「セレスト嬢と? 失礼なこと言うなって」
「何が失礼なの? 兄さんこそ、マンドランさんに失礼じゃない」

 妹に服の裾を掴まれる。布に皺が作れるほど力強くなった細い手を眺めてついにやけてしまって、ギャメルの表情をどう取ったのか妹の眉が吊り上がったが、それもまた愛らしい。

「あたし達のためにずっと力になってくれたのに、さっきだって憎まれ口ばっかり!」
「見捨てずついてきてくれて助かった、ってペコペコ頭下げろってか? …あいつにも矜持があんだぞ」

 殊勝に頭を下げたところで、マンドランはしかめっ面をしてギャメルの正気を疑うだけだろう。それならば笑える方で、形式に押し込めた感謝は友に少し傷ついたような顔をさせるかもしれない。
 感謝も罪悪感も、そう名付けてしまえる感情の熱は胸の内に灯っている。けれど言葉で固めて差し出すつもりはさらさらない。マンドランも同じ想いでいると、意固地な男なのだととっくに知っている。だから、不粋な謝意を口にしないでいる事こそが、無二の親友に対するギャメルなりの親愛の表しだった。

「いいんだよ。俺とあいつはそういうの似合わねえ」
「…もう。分かんないなぁ。あたしのことはいつも褒めてくれるのに」
「そりゃお前とあいつじゃ全然話が違うって…あのな、マンドランはやめとけって」
「どうして? あたしの命の恩人なんだよ。べ、別にさぁ…今すぐどうこうなりたいとかじゃないけど…でも、想像してた以上に素敵な人だったな…」
「おい……」

 妹のはしゃぎように呆れて口を挟む前に、黒髪を弄びながら妹はギャメルを見上げた。

「あ、そっか。友達取られたら兄さん寂しいよね…それはやだな」
「は、……あぁ?」
「あーっ、マンドランさん! おかえりっ!」

 妹の瞳がきらきらと輝く。絶句したままのギャメルを置いて、戻って来たマンドランに向かって駆け出す背中の軽やかさといったら、かつて病に蝕まれていたのが嘘のようだ。
 慌てて「走んなくていいって」と呼びかけた声は、前方の親友の声と見事に重なった。

「おう、待たせたな。…おかえりか、へへ」
「なーにニヤついてんだよ」
「お前だってニヤけて…ん? なんか悩み事でもあんのか?」
「無いね。なんにも」
「そういう顔じゃねえけどなぁ」

 こちらを覗き込もうと近づいてくる顔を手で押しのける。真意を悟られにくい容貌を自身では便利に思っているのだが、どうにもマンドランには通じにくい。

「大丈夫だよマンドランさん。兄さん、家だといつもこうなの。あたしのことをいつまでも子供だと思ってるから」
「くくっ、なるほどなぁ。そりゃ良い悩みだ」

 嬉しそうに笑う妹に免じて、マンドランを小突くのを諦めて皮肉の代わりに溜め息を吐き出す。

(…ああクソ、気の抜けた顔してんじゃねえよ)

 兄の話を一体どう捉えていたのか妹が友に惚れ込むのも不覚だったが、快復して他者と会えた喜びを過剰に錯覚している可能性もかろうじてあるだろう。
 問題はマンドランの方だ。友人の妹に見せる顔にしては、随分と青い瞳が焦がれているではないか。解放軍の仲間の幾人かが同じような瞳をアレインに向けていて、当時のギャメルはそんな感情模様を傍観して面白がっていた。いざ当事者になると全くもって笑い事ではなく、渋いものが口の中に広がる。

(マンドランと妹が、……いやいや、ねえよ。ねえって。無しだ!)

 ギャメルの心に、ぞわぞわと苛立ちに似た波がさざめいている。
 マンドランは気の良い奴だ。間違いない。だが、それとこれとは話が違う。アレインにより平和を取り戻したこのフェブリスの地で、妹はようやく自由に生きていける。兄とその友人に固執せずとも、これから多くの祝福と縁があるはずなのだ。

(こいつは、俺と同じ罪人の身なんだぞ。金もねえし、武器に気持ち悪い名前もつけるし、てめえの身は後回しにしてばっかで早死にしそうだしよ、それに。……それに、)
『ああ……やっぱり、ギャメルに似てるな』

 先刻、妹を目にしたマンドランが見せた、眩しそうに細められた瞳の優しさが脳裏に翻る。

(だってあいつは、子供の頃から俺に懐いてくっついて回ってんのによ。妹と付き合うってなったら、…それは、おかしいだろ)

 本当は何が気に食わないのか。うっすらと佇む答えを避けるようにギャメルは思考を打ち切ったが、じりじりとした感覚は胸に残ったままだった。柄にもなくて、嫌になる。

「まったくよ、つくづく人生何が起きるか分かんねぇよなぁ…」

 ギャメルは乱雑に頭を掻いて、妹の頭と友の肩に手を置いた。

「ほら、盛り上がってねえで行くぞ。町出る前に腹ごしらえだ、何が良い?」
「兄さん、あたしオムライス食べたい! 手紙読んでから、ずっと憧れてたの」
「おっ、いいじゃねえか! 楽しみにしておけよ、うんまいぞ」
「ヒヒッ、お前はなんでも美味い美味い、だろ」

 大事な妹と親友がギャメルの隣で笑っている。罪人の身には過ぎた幸福で、今はこの笑顔があれば十分ではないか。二人が仲良くしているのだって、嬉しいのも確かなのだ。

(まあ…今の段階であれこれ考えても仕方ねえな)

 将来二人の関係が変わるなら、その時に文句の一つでも考えてみせれば良い。
 ギャメルの贖罪の道は永く地獄まで伸びている。自分がどんな想いを抱いていようが関係なく、どうせマンドランと連れ添い行く道なのだから。
 
 

2024.10.17
2024.07.28 TOKYO FES Jul.2024にて頒布
設定画集前の話ですので、設定画集以後の情報と齟齬があってもご了承ください。



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