選んだ居場所だから


 
 ナッジには人並みに不得意なものがあって、その一つが深夜の酒場だった。必要が無ければ立ち寄らないように努めていた。しかし冒険者として人命救助の依頼を達成した折に、依頼人が恋人の帰りを酒場で待っているというのなら、自らの嗜好を問わず送り届けるのが道理というものだろう。結果として快くない事態が起きると分かっていてもだ。
 再会を果たした恋人同士はナッジ達への感謝もそこそこに、歯の浮くような言葉の応酬と、人前でするには度の過ぎた愛情表現を始めて、酩酊した客達がそれを揶揄して盛り上がる。口付けを交わしながら下腹部に伸びていく手が視界に入り、反射的にナッジは俯いた。予想通りの展開だ。

「……二人きりになってからじゃダメなのかなぁ」

 深夜の酒場では珍しくもない、しかし何度見てもナッジを困惑させる光景だった。今日はナッジ一人でなく、親友もこの場に同席しているのが肩身の狭さに拍車をかける。
 ナッジは隣に座る親友を盗み見る。ヴァンはすっかり机上の料理を平らげたようで、いかにも退屈を紛らわすように、皿の上の冷めたピーマンをフォークでつついていた。
(意外とこういうの乗らないんだよね。だから余計に気まずいんだけど……)
 親友の心中は気になるものの、それ以上にこの場を脱したかった。声をかけようとナッジが身体を寄せると、ヴァンは好都合とばかりに減らないピーマンを視界の外に置いた。

「……ヴァン、今日は報酬貰えなそうだね」
「なんでだよ?」

 怪訝な顔になるヴァンに、ナッジは危うく溜め息が出る所だった。

「なんでって、まあ、……二人の世界に入ってるしさ」
「あぁ? じゃあ、待ってる時間が無駄じゃねえか。帰ろうぜ」

 ナッジは苦笑いして首肯した。日を改めれば、依頼人の喜びも落ち着くだろう。二人は現在地の名も無き村の酒場を後にして、本来の目的地であったナッジの家まで帰る事を決めたのだった。


「あぁもう、最悪だぜ。変な依頼受けちまったな」

 勝手知ったる小さな湖畔まで辿り着くと、ようやく解放されたとばかりにヴァンが大きく伸びをした。惚気を思い出して苛立つヴァンを常時のように咎めるにはナッジも疲労していた。

「のろけで耳が腐ったぜ。まさしく、イヤー!って感じだな。ププ」
「そのギャグを聞かされるのも大差ないけどね」

 自分の駄洒落で即座に機嫌を直せるのだからお得なものだ。肘でヴァンを小突いてみるが、当然ヴァンは物ともしない。

「なんだよ。お前もオッサンに引いてただろ。
 『無垢な肌を傷付けていいのは魔物ではなく私だけなんだ!』 ……けっ。
 『君のくちづけは恵みの陽光』だぁ? 恵みの陽光の現物をよこせっつの、現物を!」

 人前で愛撫に盛り上がる下品さに引いていたのであって、甘言は構わなかったのだが。似ない声真似をするヴァンを見ていると、ナッジはようやく依頼人の肩を持ってあげたくなった。

「ま、まぁ……それだけ癒されるってことで、許してあげようよ。
 恋人と何日も離れてたんだよ? 魔物に殺されてたかもしれないんだ」
「ちっ、だからって女にベタベタするぐらいで癒されるかよ」
「またそういうこと言って……」
「大人の女と遊んでもノリ悪そうなのに、よくやるよな」
「えーと、おじさん達が言ってた遊ぶってさ、そういう意味じゃないと思うけど」

 どう返して良いのか分からずナッジの声は小さくなった。ベッドを共にする期待に盛り上がっていた男女の姿を見て、ヴァンは平気で幼い価値観を口にする。本当に分かっていないのだろうか。
 冒険者を続けていると、性の話とは無縁でいるのは難しい。酒場で気が大きくなった恋人達の惚気が交わされるのは今回に限った話ではない。性行為にまつわる下世話な話で盛り上がるのも、盛りの少年扱いをされて話題を振られるのもよくあることだ。だがそんな猥談は共感を響かせずナッジの心を上滑りしていく。その不可解さが居心地悪くて、だから深夜の酒場は苦手だった。

(遊ぶ、かぁ。あんな風に……相手の身体を触るのって、変な感じだ)

 これから年齢を重ねれば、異性の魅力にとろけて恋をしたくなって、そして触れ合い交わりたいと感じるものだろうか。女性への電撃的な感情の経験が無いナッジには想像が難しかった。もしかするとこの関心の薄さは自身の性質でなく種族の性質によるものかも、とまで考えてみてから、かつてウルカーンで読んだ長老の手記を思い出して眉を寄せる。コーンスだからといって根源的な欲求に無縁ではいられないのは知っているはずだった。

(コーンスだって綺麗じゃない。愛の為に間違ってしまうのだって人間と同じだ。
 ……同胞は。どうだった、のかな。……流石にそんな話はしなかったし)

 思索の迷路はどんな始まり方をしても強い未練に引き寄せられて同じ終着地を目指す。繁栄の許されなかった同胞達。反乱の為に集ったコーンス達の中には、家族で連れ立ってきた者達も愛を語る恋人達もいた。
 
 コーンスが抱く性愛の階調が分からないのは、単にナッジが置いてきた友達と種族の未来を考えるので精一杯で、正しく言えば身寄りのある同胞達に少しの羨望も混じっていて、だから色恋の気配から遠ざかっていただけで、本能の答えも本当は知ろうと動けば知れたはずだった。

(恥ずかしいだけ? それとも、逃げてる? 僕は……)

 更に思考を泳いで回想にふけろうとしたナッジの意識は、頬に生じた違和感によって一瞬で現実に引き上げられた。

「例えばよ、」
「わ、っ?」
 いつのまにかヴァンの顔が間近にある。
 違和感のぬくもりは、ヴァンの軽やかな接吻によるものだった。目線が合うやいなや、ナッジの身体はヴァンによって抱き寄せられた。

「こうしても、別に癒されるとかないだろー? ベタベタしたってなぁ」

 孤立しているナッジには縁遠い習慣だったが、頬への口付けと抱擁はテラネでは家族同士の親愛の挨拶を意味している。ヴァンの両親はこの挨拶を一人息子に惜しみなく与えているから、ヴァンにとっては慣れた行為なのだろう。友人が思いつきで取った行動はナッジの頬を自然に緩ませる。
 ヴァンには悪いが、依頼人の心境が少し分かるような気がしてしまった。

「そうかな? 嬉しいよ。恋人にされたら、もっと違う感じなのかもね」

 数秒待ってもヴァンの身体が離れない。抱擁の挨拶にしては長すぎる。また何か思いついたのだろうかと、先んじて咎める声色で囁いた。

「……ヴァン?」
「うーん。……ちょっと待ってろ」

 ヴァンはゆっくりと背中を丸めながら、ナッジの胸元に頭を埋める。

「何なの?」
「……。音、してるよな。時々、ドキドキする」
「僕をなんだと思ってるの。……あ。
 もしかして今のはダジャレだった……?」

 突っ込みを挟んだ時に浮かべるヴァンの得意げな顔は胸元から現れなかった。
 鼓動を聴くのに集中しているのか、ナッジの胸に片耳を押し付けて動かない。

「……ナッジ、生きてるよな」
「……、ヴァ、ン?」

 噛み締めるような呟きはナッジを動揺させた。
 先程までの清々しい幼さはその声にはない。ヴァンが冒険者になってから時折表出させるようになった大人びた色は、ナッジに半端な期待を持たせては小さな棘を残していく。ヴァンの前ではナッジはテラネの素朴な子供でいればよくて、奥底の苦悩や矜持に寄り添ってもらう関係は望まない。それで良かったから、死の岐路で親友をよすがとして、滅びに殉ずる道を諦めたはずだった。道を捨てる事で、一つの恐れが増えるとしても。

(ねぇ、ヴァン。君も確かめたくなるんだね。
 君も、……不安になったりする?)
 心臓に被さる重みを感じながら、ナッジはいつものように寂しさを堪えて飲み下した。

 長い抱擁を終えたヴァンは元の調子で会話を再開したので、ナッジもそれに同調した。隙あらば飛んでくる駄洒落に気を取られながら自宅へと続く梯子を登る。半月ほど家を空けていたが、簡素な室内は汚れも積もらずに変わらぬ姿でナッジを迎えてくれた。
 続けて梯子を登ってきたヴァンは、外の備蓄を横目にしながら部屋に上がり込んでくる。ナッジの家に遊びに来た際に薬や燃料の在庫が少ないと、ヴァンは文句を言いつつ採取に協力してくれるのだった。

「この時期に薪が余ってると変な感じだな」
「家を空ける日が増えたもんね。……そうだ」

 いつもなら来訪の挨拶は一言で終えるのだが、先程のお返しにかこつけてナッジはヴァンの頬に口付けて身体を寄せる。もう一度、友との触れ合いを試してみたかった。

「えーと……こうかな。いらっしゃい、ヴァン」

 自ら接吻と抱擁を持ちかけても、やはりナッジの胸は奇妙な熱を持った。恋人がするそれと同質かはナッジには分からないが、ひとの体温は確かに快さを与えてくれる。
 ヴァンは緊張に強張る素振りすら見せず、ナッジの親愛を受け入れていた。応じるように伸ばされたヴァンの腕がナッジの背中を軽く叩く。間もなく離れてナッジは微笑した。

「使い方、これで合ってる?」
「ん」
「僕、この挨拶好きだなぁ」
「俺は好きじゃねえけどな……ガキみたいでよ」

 鼻を鳴らすヴァンを眺めていると余計に笑みが深まる。周囲の目も憚らず両親から毎日派手に抱擁を求められるとなると、照れ臭さも生まれるのだろう。そんなヴァンを羨ましいと思う。仲睦まじい家族の健在と、親友の体温を確かめられる日常の、どちらに自身の羨望が向いているのかは見ないふりをした。
 性欲の空気に無頓着なくせに大人への背伸びを欠かさない、幼い鼻を明かしてやりたくて、ナッジは再びヴァンに顔を寄せた。

「大人こそやってたじゃないか、」
 口付けを、ヴァンの頬ではなく唇に向ける。触れるか触れないかの皮一枚まで近づいて、そっと離れた。
「……こんなふうにさ。でしょ?」
「ふん。大人の真似かよ。ナッジのくせに」

 慌てて怒る姿を期待したが、返ってきたのは呆れたようなヴァンの目線だった。今の悪戯を何とも思わないのが、まさに子供の証左だ。ナッジは肩をすくめる。

「実際、君より年上だもの」
「関係ねえ。俺が兄貴分だろ!」
「はいはい」

 いつもの背伸びを受け流しながら、ケープを取り外して壁のフックに吊るす。ヴァンの上着も受け取って同様にかけながら、ナッジは柔らかく言い含めた。

「……好きじゃないのも分かるけどさ。
 家族がいるうちは、そういう習慣って続けたら良いと思うんだ」
 親愛の交わし合いに慣れていて、だから唇を寄せても照れもしない、ヴァンの初心な一面がナッジには好ましい。恵まれているのに気付いていない純粋ささえも。
「きっと、この挨拶って大事だよ」

 ナッジの両親は息子に抱擁の記憶を与えぬまま死者となった。ナッジの祖父は触れ合いを好まない静謐な愛を持った人で、たまに祖父に頭を撫でてもらえるのが幼き日の喜びだった。けれど、ナッジの体温よりも低いかさついた掌の感覚は、既に記憶から薄れつつあった。記憶に住まう死者もまた、ぬくもりを失っていくのだ。
 大切な人の暖かさを実感できる機会は、覚えていられる時間は、ヴァンが想像するより貴重なはずだった。

「なんだよ。ナッジもそういうの苦手だと思ってたのによ」
「僕が苦手かは関係ないでしょ? ヴァンの話なんだから」
「ははーん。なんだ、お前、実はいつも羨ましかったのか?
 俺とキスしたいか? くちづけは恵みの陽光、だもんな。ぷくく」

 からかう糸口を掴んだとばかりに、ヴァンはにんまりと笑って顔を覗き込んでくる。

(……ずるいよ、ヴァンは)

 苦しさに狭まる喉からなんとか息を逃して微笑に変える。ヴァンの言葉は図星だった。口付けが相応しいのかは分からないが、頬に口付けした瞬間のようなヴァンの温みを求めていた。ヴァンが生者である証を確かめたかった。
 ヴァンの無邪気さは卑怯だと思う。ナッジの真意を探ろうともせず全幅の信頼をぶつけてくる。そんな気兼ねしないヴァンの身勝手さがこうしてナッジを縫い止める。
 友をかけがえないと思う程に、一つの恐れが膨らんでいく。
 同胞と引き換えに手に入れた在処が、もし失くなってしまったら。
 ナッジが守り続けても、親友が大人になってしまったら、新たな道のために別れるかもしれない。別離を免れても、人間の老衰はコーンスよりもずっと早い。
 今日ではない、明日でもない。
 近くはないいつかに、ナッジの居場所はいなくなる。

「……どうかな」

 心で恐怖が弾ける前に、ナッジはヴァンの熱を求めた。頬ではなく唇に、撫でるだけの口付けを何回も重ねる。ヴァンの温度が、心地良い。少しずつヴァンの唇が湿り気を帯びてくる。

「……っ、ん」
(もっと……知りたい)

 悪戯を装って舌を割れ目に沿わせると、予想外に素直に侵されるに任せられて、ナッジの心臓がどくりと跳ねる。粘膜の微熱と拒まれない戸惑いに硬直するうちに、肩を押しのけられて引き剥がされた。

「っは、ぁ。ノロケオッサンの影響かよ」

 ヴァンは不思議そうに濡れた唇を指で触っている。あまりにも鈍感だと思う。ヴァンでなければ嫌悪されて距離を置かれてもおかしくはない行為だったはずだ。早打ちする鼓動に合わせて声が上擦りそうになったが、なんとか自分なりに冗談の語調にできた。

「……まあ、本当に癒されるのかは気になった、かな」
「で?」
「で、って。僕が聞きたいよ。今の嫌じゃなかったの?」
「こういう挨拶もあるのかと思ったんだよ!」
「……へえ、ヴァンって付き合い良いよね」

 これ以上の駆け引きはヴァン相手に期待しても仕方ないだろう。そんな内心が伝わってしまったのか、ヴァンは気に障ったように舌打ちするとナッジの口元をめがけてキスを返してくる。口内まで侵入されない皮膚の触れ合いでは、ナッジは最早もどかしかった。
 ナッジは表面を押し付け合うキスに付き合う傍ら、ヴァンの背中に腕を回して肢体を抱き寄せる。ヴァンの活力を表すような熱さが、服越しでもナッジの全身に染み込んでいく。

「ふ……、っ」

 どちらのものか、吐息が唇から逃げる。
 長い戯れの時間が終わる。体温が離れていくのが、名残惜しい。
 息を止めていたせいなのか、ヴァンの顔が血色を増していた。

「っ、そういう顔すんな。むかつくぜ」
「……。どんな顔してるか、自分じゃ分からないよ」

 苦笑して視線を逸らして、ナッジは固まった。
 下げた視線の先で、ヴァンの股間が丸く膨らみを帯びている。咄嗟にヴァンの顔を盗み見るが、まだ自覚するほどの強い興奮ではないようだった。
(そ……そうか、これって)
 挨拶から踏み込んだこの行為は性交の前戯に近い性質になっていたのだと、今になってやっと気付いた。ヴァンの幼さをからかいながら、ナッジ自身が今の状況を理解していなかった。顔が一気に熱くなる。

(全然そんなつもりじゃっ、……でも。
 ……僕って、ヴァンとえっちしたい、とか? ま、まさか……)
 唇の触れ合いの先の、恋人が交わすような情事の妄想が頭で広がり出して、ナッジは咄嗟に顔を覆った。
(友達相手に何考えてるんだ僕!
 ただ、ヴァンが暖かったから。ヴァンが……、
 ヴァンの、肌……)
 抱き締めた力強い生命の熱さが、まだナッジの身体と掌に残っていた。

「……うぅー……」
「おい、ナッジ?」

 怪訝そうなヴァンの声が、逃げ出したいナッジの心をその場に踏み止まらせた。
 とにかく、自身の招いた事態をなんとかしなければ。ヴァンの勃起は接触の条件反射のようなものだろうから、時間が経てば収まるだろう。

「……、ちょっと水汲みに下りるね」
「はあ? 登ってきたばかりだろ? 後でいいだろ」

 こういう時、軽く指摘してしまえば他意は隠して笑い話で終わるだろうか。ナッジは言葉に迷う。二人の間に下世話な話題がのぼる機会は僅かだった。確か何年か前に夢精で汚れた衣服の洗い方を相談しあったりして、それぐらいだ。

「……だって、勃起してるから」
「ぼっき?」
「……ほら、」

 ナッジは顎を使ってヴァンの下半身を示す。股間を覗き込んだヴァンの顔が強張って、ばつが悪そうに下穿きをつまむ。

「う、わ、……マジか」
「悪ふざけしすぎたかもね。ちょっと休憩したら落ち着くよ」

 本当は自慰を済ませた方が早く収まるのかもしれないが、気の置けない仲といえどもこの部屋でするのは嫌がるだろうし、外でさせるのは気の毒だった。
 何より自分が、冷静になる時間を欲していた。

「ナッジ、お前さ、……」

 ヴァンは状況に不似合いな深刻な顔つきで、指先で唇の形を辿っている。ナッジは思わず声をかけようとして、結局相応しいものが見つけられなかった。
 小憩を求めて外に出ようと帳に伸ばしたナッジの腕が、強い力で掴まれる。

「おい、逃げんなよ」

 手首を抑える圧力とは裏腹の柔らかい響きにナッジは振り向く。
 不機嫌に睨みつける親友がそこにいた。

「……あ、……っ」
 滲んでいる褐色の瞳に、平静を装うのが僅かに遅れる。
 こんな風に怒りと怖気がないまぜになっている姿を、一度だけ知っていた。

「お前はさ。いつも分かった風なこと言って、どっかに行っちまうよな」
「……何の話? 水汲みに行くだけだって」
「そうじゃねえ!」

 ヴァンはもどかしげに頭を左右に振る。

「喋っててもよ、時々お前がここにいないんだよ!
 俺には分かんねえってなめてんだろ!? 俺は、……俺はっ」
「……、ヴァン」
「なんでだよ……お前がワケわかんなくなって、
 ……ワケわかんないまま居なくなるのは、もう嫌だ」

 懸命な吐露はあの日と同じ声をしていた。
 コーンスの矜持を否定するくせにナッジを側に置こうとした、あの日と。
(分からないままで、いてほしいよ)
 ヴァンのそんな身勝手さが保たれるように日々を過ごしていても、不理解の痛みだけが伝わって苦しめてしまう。本当は、ヴァンにとってナッジの存在は残酷なのかもしれない。それでも、痛みを親友に強いてでも、ナッジはヴァンを欲していた。
 自分の居場所は、ここにしかないから。

「ナッジ。勝手に、先行くな……」
 視線がぶつかる。二人のこどもが、ただ一つの喪失に怯えていた。

(置いていってるのは、君の方なのに)
 沈黙が漂う。空気が、あつい。
 視線をそらせないまま、身体の熱を逃すように浅く呼吸をする。先にヴァンの瞳が潤みそうになって伏せられた。

「……、……?」

 急にヴァンから切なさが消えて、眉間に皺を寄せている。思い当たる節にナッジは知らず唾を飲み込んだ。

「……お前も、勃ってんだけど」
「……、っ、わ、分かってるよ」

 言われるまでもなく、熱が腹に溜まる感覚に惑っていた。錯覚だと思いたかった。
 親友の心と身体のぬくもりが、ナッジの不安と混ざって鈍い色に燃えている。親友にその熱さをぶつけたとしても、恥じらいはあれど怖くはない。だが、静かに波打つ己の理性が異を唱えている。
 その違和感がかろうじてナッジの性欲を引き留めていた。

「……ねぇ。元に戻るまでさ、ちょっと休もうよ」

 手首から伝わるヴァンの体温が心地良い。ヴァンに向けようとはついぞ思わなかった、ほの甘い行為への好奇心に従ってしまいそうになる。その前にヴァンから離れて時間を置いてしまえば、きっと元に戻れるはずだ。そこまで考えてから、ナッジは自嘲した。

(元に戻る? ……どこに、戻れるの?)

 テラネが世界の全てだった頃には、もう戻れない。町でじゃれあっていた二人の日々も愛おしく懐かしいが、それだけだ。自分の弱さにも守りたいものにも気付いていなかった、かつての自分はここにいない。
 強さを求めて旅立ち、同胞の願いを知った世界で、生死の境でヴァンの手を取った世界で、ナッジは生きている。
 同じように、ヴァンもまた旅の中で見つめた世界があって、その上でナッジを求めようとしている。
 この場で答えを誤魔化しても、情欲と混ざるほどに居場所を求める自分も、寂しそうにする親友も、元には戻らない。

(でも、……止めるなら、今しかない……)
 二の句を告げずに立ち尽くすナッジの裾を、ヴァンが掴んだ。首を横に振って、耳を赤くしながらも横柄な笑みを繕っていた。

「ナッジ、……俺と、キスしたいんだろ?」
 微かに震えるヴァンの声は、一度目とは違う意味を持っている。
 その誘いを、放っておけはしなかった。
「……うん」
 
 口付けを交わす。角がヴァンに当たらないように頭の傾きを深めると自然と鼻が擦れ合ってこそばゆい。躊躇わずに舌を差し入れる。自分よりも熱を持った口腔に住まう、果実のような舌をなぞり上げると、裾を掴むヴァンの掌が震えて、力が込もるのが伝わる。
 二つの舌の温度が同じになるまでぴちゃぴちゃと口内をねぶって、ナッジは顔を離した。ナッジの舌先に惹かれるように外に溢れた唾液が、涙のようにヴァンの口の端を滑り落ちていく。

「っ、…あ、あ……。ナッジ、これ、」

 細められた瞳は陶酔に溺れかけている。初めて見る親友の顔だった。頬を撫ぜてやりたい欲求が湧き上がり、伸ばした指を間際でこらえて、止める。代わりに親指の腹でヴァンの顎に落ちた唾液を拭った。
 分け合った熱が、ナッジの腹奥でちりちりと燻っている。ヴァンを明かしたい欲求が目覚めて性器を昂らせているのを自覚していた。

「……ち、がう。
 僕と君は、違うよ。
 ……ヴァンは分かってないんだ」
「……、そうやって。あの時みたいに、また壁作んのか?
 ……ふざけんな」

 吐き捨てられた憤りを、劣情の萌芽を始めている濡れた眼差しを、今のナッジは直視できない。

「……っ、そうじゃない、僕は」
「俺は、……ちゃんと分かってるぜ。
 お前さ、要するにエロいことしたいんだろ?
 駄目だなんて、俺、言ったかよ?」

 先程から熱を集めるばかりのナッジの陰茎がローブを浮かせている。その盛り上がった中心を、ヴァンが握った。
「ほら」

 一線を越える予感に全身が粟立つ。思わず逃れようと後退ったが、ヴァンは一層距離を詰めてくる。ヴァンのもう一方の手で肩を捕まえられて、弱々しく首を振った。
「ひっ、ヴァ、ン……駄目だよ」
「駄目じゃねえ。続きやんぞ」
「ぅ、君が、……君が恋人ならさ、誘ったかもしれないけど」
「なんだよそれ。こういうの、ダチにはしちゃいけないことなのか?」

 堂々とした態度で問われてしまうと、言葉に詰まる。
 神々を拝する為の教義を全て把握はしていないが、少なくともノトゥーン教には伴侶以外との性行為について肯とも否とも記載がない。酒場の客が男性同士での性交について楽しげに話しているのだって稀ではなかったから、男女間の生殖行為以外の愛戯があるのも知っていた。
 ならばヴァンの言葉にも一理はあるのかもしれないが。

「た、多分、いけないと思う……んだけど」
「誰が決めたんだ? つか、理由が分かんねえのに従うのも気に入らねえし」

 ナッジはすっかり混乱して毒気を抜かれていた。ヴァンを見て性欲を抱いても、別に差し障りないのだろうか。
 ナッジが反論を返せずにいると、ヴァンは悪だくみの時に見せるにやりとした顔を浮かべて動作を進めていく。布越しに竿を掴まれて、力強く数回擦り上げられる。布地に吸収されて柔らかい圧迫感となった刺激がナッジの脳を揺らす。
 こんな感覚は、知らない。

「っ! 待って、ヴァン、せめて下ろさせて、」

 生殺しのような刺激にとても耐えられる気がしなかった。惑いぼやけた頭が全ての躊躇を封じ込めて、勝手に手足を動かしていく。ナッジはゆったりとした脚衣と下着を地に落とした。
 膝まで伸びるローブを捲り上げてベルトに差し込むと、期待に脈打つ自身が曝け出される。
 にひひ、と意地悪い笑みを満開にして、ヴァンは改めてナッジの陰茎を手に取った。

「わ、ヴァン、ううっ」
 ヴァンは遠慮のない手つきで竿を傾けたり上下に扱いている。
「なんかちげえなー。……?
 勃つと、……俺よりチンコ長くね? くっそー、ホントお前生意気だな」
「う、るさいな……!」

 悔しそうな声に反応する余裕が無い。ナッジを弄ぶ指運びには艶かしさなど無いのに、その一つ一つにびくりと反応してしまう自分の身体を恨めしく思った。皮膚の触れ合う摩擦音が徐々に聞こえなくなったのは、じっとりと汗ばみ始めたヴァンの手のひらが先走りを絡めてすべらかさを手に入れたからなのだと気付いてしまって、ぞくぞくと快感が背筋を駆け上がっていく。

「〜〜〜ッ、う、うあ、ちょっと! 手、離して…っ!」

 繰り返される刺激から逃れようとたじろいで、間近の棚を掴むが手を滑らせた。ヴァンの片腕に引かれ抱き寄せられてナッジは倒れ込まずに済んだが、代わりに棚上の薬瓶が犠牲となった。
 瓶が床を転がる音は、ナッジにはもう聞こえなかった。

「はぁっ、ふ、うぅッ…!」
「ん、……もう、出ちまうのか?」

 ぐずぐずになった頭よりも燃える痺れを送り出そうと脈打つ陰茎の方が雄弁で、幹に密着する掌の持ち主の方がナッジよりもよほど限界を把握していた。促すようにしごく速度を上げられて、ナッジの身体はついに絶頂に震えた。

「うっ……ぁ、ああ……っ」
 不規則な排泄感に合わせて背徳の痺れが精となって外に吐き出されていく。鈴口はヴァンの掌に覆われており白濁は先端をねばつかせた。

 ヴァンの片手がようやく離れておもむろにナッジの眼前に大きく広げられる。べっとりと汚れている手中を見せびらかして、ヴァンは勝ち誇ったように口角を吊り上げた。

「なっさけねぇの」

 平静を取り戻そうとする頭が一瞬で恥辱に染まる。ナッジは紅潮しながらヴァンを睨みつけた。元を正せば自分が悪い。悪いのだが、情欲の機微も伝わらないのに羞恥だけは見事に引き出してくるヴァンが理不尽に思えた。

「っ、ヴァン〜……!」
 良い気のままでは終わらせないと、眉を上げたまま笑顔に近付いてみせれば、分かりやすくヴァンは怯んだ。

「……っ、寄んなっ」
 口付けの予感を察知したのか、耳を赤くして顔を背けようとする。愉悦する内心を出さないように努めて、ヴァンの頬に手を添えて強引に正面を向かせた。

「ふふふふ……。ヴァン、情けないのはどっちだって?」
「おい、やめろっつの、ナッジ、」

 言い繕おうと開けた口に、すかさず喰らいつく。ヴァンの舌がナッジから逃げようとうごめくが、構わず舌を差し入れて沿わせた。ぬめらかな肉の表面を長く味わいながら、丸さを過ぎて強く張り詰めているヴァンの股間を撫でさすると、ヴァンの身体がびくりとして力が抜けていくのを感じる。膝から落ちる前に、腰を支えて落下を和らげてやる。

「ぅえ、…っは、……な、っじぃ……」
 へたり込んだ身体は恍惚に浸っている。その姿を見下ろしていると放ったばかりの背徳感が再び生まれていきナッジをくらくらとさせた。取り戻した判断力は、かえって親友との行為を望む。ヴァンの中はどれほど熱く、興奮を互いにもたらすのだろう。

「……ねぇ、ヴァン。
 僕が君に、何をしたいか。本当に分かってる?」
 ヴァンの頭の高さからは、萎えないままのナッジの陰茎が存在を主張するのが見えているはずだ。動揺したのかヴァンは視線を泳がせて、負けん気の強さの為か結局は目の前の欲望と相対する事を決めたようだった。

「っ……エロナッジが。
 勝手に妄想して興奮しやがって。また触って欲しいんだろ」
「ううん、そうじゃない……」
 柔らかく肩を押し込むと反発はなくヴァンの身体が床に倒れる。腰布を巻きほどく。荒い息だけが戸惑いの返事のようにヴァンの喉から密やかに漏れている。

 ナッジは一つ呼吸を置いて、暗灰色の脚衣ごと下穿きを脱がせた。硬く自立しているヴァンの陰茎を左掌で覆い、握りこする。
「う、」
 ヴァンが身じろぐ隙に、右手だけで先程転がった瓶を探り当てる。瓶の中には祖父から製法を受け継ぎ自作している傷薬が保存されている。
(確か……えっと、すべりをよくしなきゃ、なんだよね)
 この薬は粘膜の裂傷を治すものだから目的には即しているだろう。苦戦しながらも蓋を開けて傾けると、とろみのある液薬が右手に零れ落ちていく。
 鼓動が苦しいほどに早くなる。緊張を上回る好奇心がナッジの呼吸を浅くする。亀頭を気もそぞろに撫で回しながらヴァンと目を合わせた。

「ヴァン、足上げて」
「っ……?」

 ヴァンはこちらの意図が読めなかったようだが、それでも膝を立てた状態の下半身から強張りをとろうとする。自分の身体で押し上げるように力をかけてヴァンの足先ごと半身を浮かせると、右の人差し指をとろりとした薬液ごと尻の窄まりに回しなすりつけた。

「っ? …はぁ!? お、い、ナッジ」
 思わぬ感覚に驚くヴァンは当然のように指を拒もうと足をばたつかせる。ナッジは動きを止めずに縁をなぞった。何度も薬液を塗り込むうちに窄まりは柔らかくなって、ゆっくり、ゆっくりと、指が中に埋もれていく。

「ケツ、なん、で…? ナッジ、まて、」
「お尻の中も、えっちなことに使えるんだって。どう?」
 秘された穴はナッジが求めた通りの熱さで満たされていた。中を探るように関節をまげると、ヴァンの身体が大きくびくんとはねる。ばたつく足の勢いが弱まった。

「う、あッ」
 一度指を抜き取って、たっぷりと薬液を掬った。穴の奥には進まず、外周だけを揉んで更なる弛緩を願う。指よりも大きな熱を、受け入れられるように。
 ナッジの指先に合わせて、消え入るような声がこぼれる。ヴァンの手が拒絶にもならない力でナッジの髪を掴みくしゃくしゃに乱す。
「ぁ……う、っく……なんだよ、これぇ……」
 驚愕と羞恥が混ざった色でヴァンの表情が悩ましく歪む。顔を背けたいだろうに懸命に潤んだ眼差しをナッジに向けたままでいる。こんな恥辱を受けていてもナッジを信じている。情欲に染まった心が、苦しみを思い出した。
 ヴァンに覆い被さるように体勢を変えて真下にヴァンの顔を見据える。

「やっぱり、こういうのは知らないよね?
 君と僕は違う。でも、」

 それでも、この純粋さと友情で結ばれているのが嬉しかった。
 危険を乗り越えて生きていてくれるのが嬉しかった。
 ヴァンのどこに触れても、どこを弄んでも、生者の明るい熱が確かにある。

「……ヴァンの、……そばにいたいな」

 聞き覚えのない幼い甘い声が落ちる。その音が自分の喉から通り落ちてきたことに信じられずナッジは息を呑んだが、手遅れだった。
 ヴァンの抵抗は、止まっていた。

「ナッジ……。ナ、ッジ、……なんでだよ?
 そんなの、いたいとかじゃなくて、当たり前だろっ…!
 なんでそんな顔、……くそっ」

 火照った顔を歪めて、ヴァンはナッジの頬に片手を添える。ヴァンのぬくもりがナッジの腹でうねる欲求を加速させる。

「なぁ。……ケツに指いれて、……それで、どうすんだ?
 なんか、俺、変な感じで……」
 どうする、と言葉を口に含んでナッジは考える。

 このままナッジの全てで、ヴァンの熱を確かめたかった。
 ヴァンと一つになって、人間の親友とコーンスの自分の寿命差も、コーンスが受け入れられない世界の現実にも見ないふりをして、自分の生を終える最後までヴァンと共にいられる夢を見ていたかった。
 叶わぬ願望をいざ実際の行為に変換すればあっけなくて、詰めた重さも分からないありきたりの欲望で表せたから、ナッジは照れた笑いを浮かべる事が出来た。

「……ヴァンの中に、…ちんこを挿れてみたいかな、って」
「挿れ、中……あぁ!?
 マジで言ってんのかよ! け、ケツ穴だろ!?」
「そう言われちゃうと……。やっぱり、嫌?」

 いくら怖いもの知らずの悪童とはいえ、嫌悪感があるのも無理はない。だがナッジは断られるとは思っていなかった。親友はこう見えて押しが弱い。

「……べ、別にお前なら、でも……。
 ……く、そぉ…ずりぃよ!!
 気持ち悪かったら、やめさせるかんな…っ!」
 案の定、ヴァンは舌打ちをしたり頭をかいたりナッジの股間を覗き込んだりした末に、真っ赤な顔で承諾してくれた。

「ふふ、気持ち悪くないように頑張るよ……あ」
 準備を再開する前に、ナッジは屹立したヴァンの陰茎を撫でた。ヴァンはまだ射精していないが、苦しくないのだろうか。

「……ねぇ、先に出す?」
「う、もうケツがモヤモヤしてんだよ。お前、先済ませろって……」
「じゃあ、そうするけど。……大丈夫?」
「ケツ穴触る時は聞かないくせに、なんで今聞くんだよ? いいから」

 言葉に甘えて人差し指を再び窄まりにあてがうと、指の付け根まで簡単に奥に沈んでいく。幾度か抜き差しを繰り返して指の本数を増やしてみたが、するりと招き入れられた。

「あ。二本入ったよ、ヴァン」
「し、知るかよっ…! ぅ……くっ」

 大きく円を描くように中をかき混ぜると薬液がぐちぐちと音を立て始めてナッジの興奮を誘う。時折引き攣るヴァンの太腿を空いた片手で撫でることで、本能に支配されそうになるのを必死に抑える。ヴァンの後孔は既に三本の指を咥え、ひくつく反応をナッジに伝えた。

「凄いなぁ……」
「ぁ、ぅ、……ぅっ」

 ナッジは慎重に指を抜き取り、指の股を広げて、薬液が下品に糸引くさまをヴァンの鼻先で披露する。ナッジとしては精液を見せつけられた意趣返しのつもりだったが、常になく殊勝に違和感をこらえるヴァンに無意識に欲情していたのかもしれなかった。

「ほら、見てよ。こんな風になるんだね」
「お前、ちょうし、のんな…! 俺、こんな…く、そぉっ」

 か細い抗議はいくらでも聞いていたいぐらいに楽しいが、やりすぎてしまうと本気で怒られるだろうとにやけるのをこらえた。ナッジの本来の目的に向けて、薬液を粘膜に馴染ませるように襞を擦る。感触の違和感があった場所があり、不思議に思いながら念入りに塗り込めた途端ヴァンの悲鳴が上がる。

「あぁっ!? まて、どこさわって、なん、だ、これ」
「え、痛いの? 気持ちいいの?」
「まっ、まてって、なっ、じ……!!」

 物欲しさの混じった今までの濡れた声とは違う必死さに動きを緩める。
 ヴァンの全身が小さく跳ねるのを、ナッジは呆然と眺めるしかできない。

「ひ……あ、ああ、…あ゛ッ…?」
 やがて一際大きく身体をびくつかせて、ヴァンは達した。激しく脈打った陰茎から不規則に生まれる白濁は、軌跡を描く力強さはなくどろりと幹を伝っていく。
「あ……ヴァン……」

 零れ落ちる精をぼんやりと見つめるうちに、舐めてみたい、と欲求が浮かんで慌てて振り払う。性器で戯れ合う今、もはや何が模範なのかナッジには分からなかったが、流石に退廃に足を踏み入れている気がした。

「くそぉ!! 俺、いつもと、ちが、…変で、……じんじんするっ……!」
 息を整えようとする呼吸すらも絶頂の余韻に震えている。腕で顔を隠しているからはっきりとはしないが、鼻にかかった声になっているから、泣いているのかもしれなかった。

「うん。ヴァン、変だよ。……僕を救ってくれてからずっと」

 冒険を始める前のヴァンならば、こんな痴態を見せたりはしなかっただろう。羞恥に震える姿こそが、ヴァンが自分を求めてくれている証だった。
 ヴァンの成熟への手掛かりになり得ただろう執着心を、大人への第一歩だと祝福する前に、他の人に向けるべきだと手放せる前に、ナッジがこの行為を選んだのだ。

「ねえ、……変なのは、僕も、一緒だよ」

 ナッジは奔流する全ての感情を伝えるように、ヴァンのすっかりぬかるみ緩んだ肛門に自身を吸着させ、ついに深く侵犯した。
 指で感じていた以上の熱がナッジの昂りを締め付けてきて、思わず大きく息を吐き出す。

「っ、ヴァンって、あついね…」
「うっ……くぅ、な、ナッジ……」
「君がここにいる…、ここに……」

 ナッジはゆっくりと体勢を変えて、正面からヴァンを抱き締めた。
(これが……ヴァンなんだ……)
 ヴァンを全身で感じられる幸福が、ナッジの隅々まで満ち渡っていく。

「ぅ、…お前、ちんこ、ながいって…き、つ……」
「な、長くないってば!」

 苦しそうな声色にはっとして慌てて腰を引こうとしたが、ヴァンの両足によって逃げる動きは咎められ、昂りは水音を立てながらヴァンの中に再び収まっていく。

「っ、ぐ……!」
「ヴァ、ヴァンっ。無理しないで、いいから」
「く、ぅ、こんくらい……ははっ…けつ入れて…わらえるぜ、これ…」

 浅い呼吸を繰り返しながら、ヴァンの片手はふらつきながらナッジの左胸をさすった。

「う……、ナッジ、いきてる、なぁ……」
「っ、ヴァ、ン……!!
 あ、あ……僕、こんなことして、ヴァン……」

 たまらずナッジはヴァンの身体を掻き抱き、溶け合ってしまいたいと願いながら密着を深めた。ナッジのローブもヴァンの肌着も汗で濡れ、両者の接着の助けになって、下半身だけ肌を露わにした不恰好な姿も忘れるほどに、息のかかる近さでお互いを見つめ合った。
 ナッジはただ、自身の猛りをくるむヴァンの中の熱を確かめ酔いしれた。抱きしめた腕に力をこめると、ヴァンも同じ力で応えてくれる。ヴァンを閉じ込めるように、背を曲げて乱れた黒髪を胸元に寄せた。

「ぃあ、うああっ!」
 繋がる位置を変えた事で別の刺激を生んでしまったのか、濡れた嬌声がナッジの腕の中でくぐもる。それでもナッジを逃すまいとしてくれているのか門の締め付けが一層強くなるのにナッジの心は掻き乱される。

「ヴァ、ン、……ヴァン、ヴァン。ヴァン……!!」

 制御できない熱い気持ちなど初めてで、どうしようもできなかった。
 ヴァンといたい。ヴァンと生きていきたい。ヴァンだけが、自分の居場所。
 名付けられなかった狂おしさが、すべて親友の名となって迸る。

「ぁ、ああ、あ……な、っじ…」
 ナッジの髪が優しい温もりで撫で下ろされる。快感に苦しみながらもヴァンはナッジの執着も受け止めようとしていた。

「だいじょうぶだ、いっしょだぜ、俺たち…っ。
 これで……一緒、だな…?」
「ッ……今だけ、は。
 ヴァン、……僕の、ヴァンだから……っ」

 駄々をこねるようにヴァンがこちらを仰いで頭を振る。恍惚を映す瞳の目尻には涙が溜まっていた。
「ずっと、ずっといっしょだ……ナッジ……」

 ナッジは何も答えられなかった。
 それが叶うなら、こんな快楽など二人には不要だったのに。
 ヴァンの涙が滑り落ちて、二人の隙間に落ちて消える。まるで追いかけるように新しい水滴が降り落ちるのを、ぼやけて熱い視界のままナッジは捉えていた。
 心地よい居場所からナッジの熱を抜き取る。ひ、とヴァンが切なげに鳴くが、ナッジも同じ思いだった。限界を訴える本能に任せて、ヴァンの腹に塗りつけるように精を放った。震える身体が親友の体温を求めて縋る。掌のぬくもりがナッジを離さず、再び二人が一つの熱となって、ナッジは濡れたままの瞳を閉じた。


 お互いを曝け出してヴァンの隣で得た眠りは、ナッジに心からの安息をもたらしてくれた。ずっと意識下で怯えてきた、ヴァンのいない未来も孤独もない、何も考える必要のない満ちた時間だった。
 だが、思考を手放す幸福の清算は、目覚めた後にする羽目になった。

「……。ベタベタでかぴかぴだね……」

 後処理もしないまま放置された床と衣服と身体は、汗と薬液と精液で見るも無惨な状態となっていた。隣で伸びをしていたヴァンがナッジの肩に腕を回してくる。
 嫌な予感がした。

「んん? ……精子の掃除、加勢しよう……ププ」
「ふーん。せいしをかけて、……ちょっと、これ、僕もギャグに巻き込んでない?」
「はははっ、ナッジも俺のセンスが分かってきたな!」
「疲れる……」

 あれだけ熱に浮かされた後に元の調子を取り戻せるのが、ヴァンがヴァンたる所以なのかもしれない。呆れ返りながら友の腕を振り払いナッジは立ち上がった。とにかく、疲れていても始まらない。
 服を脱ぐ余裕すらなかったことを今更気付かされて赤面しながらも、麓の湖で身体と衣服を洗い、それから二人で部屋の掃除を始めた。

「……エロナッジのせいだ」「これ、汚れが落ちない」「背中いてえし」「ほら、ヴァンのバカぢからで持っていってよ」「頼む態度じゃねえ、スケベナッジ」

 湖と小屋を往復しながら、すれ違う度にぶつぶつと文句を言い合って性に乱れた痕跡を消していく。
 掃除が終わる頃には服もすっかり乾いていたので、ナッジとヴァンは達成感に頬を緩ませながら湖のたもとで着替えを済ませた。
 ようやく情事の空気から解放されて、どちらともなく肩を揺らし始めて無邪気に笑い合う。

「……やっぱり、そういう顔が良いぜ」
「何? ヴァンさ、その曖昧なの、やめたら。
 そんなとかあんなとか言われたって、鏡が無いんだから分かんないよ」

 ナッジは鏡代わりに水面を覗いた。顔を確認できないかと頬を揉む。ヴァンなりの優しさは伝わってくるがどうも要領を得ない。

「うっせぇ。明日はお前にたっぷり仕返ししてやる。
 俺だけケツ弄られてんの、恥ずかしいし割に合わねえだろ!」
 予想だにしないヴァンの言葉に、ナッジは勢いよく顔を上げた。
「またやるの!? 明日!?
 さっきつらそうだったし、僕のことスケベって…」
「は? スケベはスケベだろ。だからやるだろ? な、決定!」
「えと、ううーん。……もう、しょうがないなぁ」

 違う形だとしても、繋がっていた時の充足感をまた味わえるのは本当に嬉しかったが、もう少し片付けの面倒でないようにやりたい。少なくとも、ベッドを使いたかった。
 挿れられている自分を想像しようと悶々としていると、寂しそうな声が聞こえてナッジは我に帰った。

「あんなスケベナッジでよ。あんな、顔……。
 ……いつのまにか、お前、変わってるんだよな」

 ヴァンはナッジの中に何を見出したのだろうか。ナッジは曖昧に髪を揺らして言葉に応えた。
 ヴァンが気付かないものなど、もとよりナッジの中にいくつも抱えてばかりだった。
 ヴァンが大人びて理解を示すようになるとしても嬉しくはない。時間が許す限りは、噛み合わない友情に甘えていたかった。

「ヴァンだってさ……」
「あ?」
「……。旅してるんだからさ、おかしくないでしょ」

 揺らぐ空気を断ちたくて大げさなほどに得意げな声を出すと、ヴァンも腕組みをして大きく頷いた。一瞬見せた不服そうなヴァンの表情は、見逃して記憶に閉じ込めた。

「それもそうか。俺達あんなに大活躍したんだから、ナッジとはいえ成長もするか。
 調子良く、朝食前だぜってな。ププ」
「それを言うなら朝飯前じゃないかな。
 いや、せいちょう、ちょうしよく、……だからちょうしょく?
 苦しいなぁ。ヴァンのギャグセンスは全く成長しないね……」
「何をおおお!?」

 このヴァンの中に、繋がっていた時のよるべない姿が確かにあるのだ。ナッジは目を細めてヴァンを見やった。それを覚えている限り、きっと自分は大丈夫だ。

 ナッジはヴァンの頬に口付けて、軽く抱き寄せる。離れる間際に名残惜しく首筋を撫でると、くすぐったそうに目元を緩ませてヴァンは感触を受け入れていた。

「ほら。ヴァン、そろそろ帰らなきゃでしょ?」
「ん、そうだな……。また明日、また会いに来るからな?
 だから、ナッジ。俺達……離れない、からな」
「……ヴァン」

 別れの挨拶を受け入れて、家族の元に帰るために走り出すヴァンを、いっとき離れていく親友を、輪郭が消えるまでの長い時間をかけて、ナッジは立ち尽くして見送っていた。

2023.03.20
旧題「選んだ居場所だから」
ぐずぐずの依存友情セックス。「単純なこと」に続きます。



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